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みとのひとりごと

関西人、東京在住。人生いまだ考え中。昭和の残香がするすみっこが好き。

グースハウスのポニーテルとシュシュに泣きたくなる。


ポニーテールとシュシュ/AKB48(Cover)

 久しぶりにユーチューブで、グースハウスを聞いている。カバー曲なのでどれも名曲ばかりなんだけど、グースハウスが歌うと、また違った趣があって心に心地いい。中でも好きなのが、「ポニーテールとシュシュ」なんだよなぁ。個人的には、AKB48自体はあんまり好きではない。でも秋元康の作詞力は天才だと思っている。80年代のアイドルソングから、美空ひばり、そしてAKBへ。一人のおっさんが、青春、そして人生の本質みないなものまでを歌詞にする。比喩、隠喩がうまいんだろうあ。それが心に心地いい。少し歌詞の舞台の光景に嫉妬する。AKBが、青春真っ只中のキラキラの歌詞を歌うとキラキラ感覚しか残らないのだけど、実はAKB以外がその歌詞を歌ったカバーの方が、そのキラキラの残像感が心に染みるんだようね。もうじゅうぶんおっさんと言えるような年齢なのに、「ポニーテールとシュシュ」の歌詞がね、心にとても染みるんだよ。今でも。ちょっと痛々しいな。俺。

 

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時代に高揚感を感じられた最後の世代は

 日本が失速してかなり長い年月が過ぎるが、ではどの世代までは日々の生活の中で高揚感を抱けていたのだろうか。日本経済が本格的にデフレに突入したのは1996年だと言われている。この年に多くの会社が過去の負債で動きが回らなくなり、翌年には山一証券北海道拓殖銀行など、それまで潰れるはずがないと思われていた企業さえ倒産した。90年にバブルがはじけて、その後も景気は停滞期が続いていたが、96年まではまだ多くの日本人はある種楽観的で、今の景気の落ち込みは一時的なものだと思っていた。その幻想が終わったのが、96年だ。この年を節目に、それまでの日本型雇用は大きな転換期を迎えた。終身雇用、定期昇給、昇進が当たり前だった世界に、リストラが生まれ、(給料に差を出すための)成果主義が生まれ、(給料を安く抑えるための)多くの派遣社員契約社員が生まれた。この96年までにサラリーマン生活を終えられた人が、時代に高揚感を感じられた最後の世代ではないかと、個人的に思っている。
 その世代が今何歳かと考えると、96年に60歳で定年を迎えた人は、今80歳だ。世間一般で勝ち逃げ老人と言われている世代に当たる。今80歳の人は、1936年生まれで、終戦当時は8歳だったことになる。戦争の記憶は残っているが、戦争に戦争に直接参加した世代ではない。10歳上の世代になると戦争に直接関与し、戦場にも駆り出されたことを考えると、その10歳の差が限りない差だったはずだ。
 彼らは、1960年に池田勇人が「もはや戦後ではない」と宣言した時代に24歳の若者で、どの産業に身を置いてたとしても時代の高揚感を成長を肌で感じていたはずだ。産業によって格差はあったものの、みんな一律に毎年給料が上がり、生活が確実に豊かになることを肌で感じることができた。その年代の生涯未婚率はわずか2%で(今は男性20%強、女性10%強)、ほとんどが家族を持ち、子供を持ち、マイホームを買い、とまさに自分の人生が右肩上がりで上昇していることを肌で感じていたのだろう。そしてそれは一部エリートだけでなく、職人も豆腐屋も工場労働者もその差はあれ、みんな同じで、時代の高揚感を満喫していたはずだ。まさに幸せな時代で、世代だったんだろう。
 世間では団塊の世代を羨む声が溢れるが、彼らはそんなに幸せでないと個人的には思っている。バブルがはじけた25年前に40歳前後だった団塊の世代は、それまでの15年強のサラリーマン生活の中では時代が成長する高揚感を味わったのだろうけれど、その後の25年間は、右肩下がりの失速感を味あわさせられた。その間にリストラや減給にあい、人生そのものが崩れた人も少なくないだろう。
 (僕も属している)就職氷河期世代は、世間一般では非常にかわいそうな世代と位置づけられるが、果たしてそうかなとも思う。僕らはある種の底から社会人人生のスタートを余儀なくされたが、それは特に不幸ではないようにも思う。どん底から始めれば、上がるだけだから。80歳の戦後復興世代ほどでないにしても、ある種の底を味わった世代は楽だろうなと、個人的な肌感覚からも感じている。
 逆に今の20代前半は、就職率が高く優遇されているとの見方が多いが、それはまったく違うだろうな。今後日本はこれまで以上にグローバルな競争に巻き込まれていく。昔は就職はある種の人生のゴールだったが、これからは圧倒的なスタートになるだろう。結果を残せない会社は、大企業といえど安泰であるはずがないし、企業が安泰だとしてもその中の個人の仕事が安泰だとは限らない。あたり前のことだが、海外販売比率が高い会社は海外の人材が増え、日本人の影響は少なくなる。海外駐在員として優遇を得ることも、今後はさらになくなっていくだろう。
 だらだらと書きなぐってしまったが、時代に高揚感を感じた世代は羨ましが、彼らになりたいとも思わない。団塊の世代になりたいとも、ゆとり世代にもなりたいとも思わない。自分を生きてきた時代を大切に思い返し、これからも噛みしめつつ、多分淡々と、これからも生きていくことこそが、人生というものなだと思いたい。

 

 

 

心の贅肉

 「彼のおかげで、自分の贅肉の付き具合を感じた」。

 見城徹は、著書「編集者という病い」の中で、尾崎豊の自殺とその後の自分の意思の変化などを語りながら、こんな言葉をつぶやいている。

 見城は、角川時代、尾崎豊のアルバム「BIRTH」に携わり、一時失踪した彼の復活を手助けし、そして決裂した。若者へのカリスマとなった尾崎を支えたイメージが強かったが、実はそんな単純なものではなかったんだなと。尾崎は生き急いだイメージが強いが、見城は「彼が死んだと聞いた時は、少しも驚かなかった」と記している。常にもがき苦しんだ彼は、30歳までに死ぬのは仕方なかったんだろし、ある意味当然だったのだろう。芸術家と精神異常とは紙一重であるのだけど、その狭間を、なかなか人は超えることができない。生きているだけで生きているのが苦しいんだと叫ぶ尾崎は、同時代の多くの若者に強く支持されていたけれど、それは命を削ることとほとんど等価だったのだろう。

 見城徹は、著書の中でこう続けている。「人は現状維持の方が楽なのだけど、逆にリスクがあるほうに向かって進まなければ何も生まれない。そんな生き様を、彼は見せつけて逝ってしまった」と。そして彼は、それが自分が角川を辞め、「幻冬舎」をつくったきっかけだと、結んでいる。

 尾崎ほどに強く自分をみつめることもなく、見城ほど熱意を持って冷静に自己分析はできない僕に、「心の贅肉」は一体どこまでついているのだろう。少し怖くなった。身体の贅肉すら落とすのは大変なのに、心の贅肉を落とすには一体何をすればいいというのだろう。ブラックニッカのホットウイスキーを飲みながら、そんなことを考えている。安い気分転換。答えが見つからないのが答えなんて、そんなありきたりな言葉に満足はしたくない。