みとのひとりごと

40代独身、人生散歩中。

チャラン・ポ・ランタンやっぱいいね。

 


チャラン・ポ・ランタン / 「進め、たまに逃げても」MUIC VIDEO(full ver) 逃げるは恥だが役に立つオープニングテーマ

 逃げ恥が遂に終わったね。なんか忙しくてちゃんと見れなかったけど、まぁなんだろフジテレビとは違う、今の恋愛模様(ちょい過剰だが)を感じられてよかったよ。

 改めて気づいたんだけど、エンディングの恋ダンスより、チヤラン・ポ・ランタンが歌うオープングの方が、圧倒的にいいね。2年まえくらいからこの2人大好きなんだけど、改めて好きになったわ。無国籍感がまじでいいわ。特に姉ちゃんの小春のタイ、インドネシア風なアジア感は大好き。妹のももは姉に比べると日本人ぽいけど(日本人だけど)、台湾の娘っぽいしなぁ。やや中毒性あるわ。

 

 ちなみに彼女たちで一番好きなのは、「恋とマシンガン」のカバーバージョン。フリッパーズギターのださカッコよさにあこがれて中学時代を過ごした世代としては、最高です。歌も小山田より圧倒的にうまいしね笑。

チャラン・ポ・ランタ / 恋とマシンガン(short ver.)

 

 

結局、変化への原動力は不満。

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  アメリカのトランプ大統領誕生の熱気がとりあえず落ち着いた感がでてきたので、今頃になってとりあえずの感想を書いてみようかなと思って、ブログを開いた。トランプ大統領誕生の背景には、大きな期待を背負って8年前に生まれたオバマ政権への失望感が、大きい。当初オバマ政権は、格差社会アメリカを変えくれる期待感が熱気だっていたが、それはいつしか失望感に変わっていった。それが過激だけど何かを変えてくれるように感じるトランプ支持につながったのだろう。そもそも、オバマ政権の誕生の背景には、前ブッシュ政権の世界の警察を過剰に打ち出した政策への不満が大きかった。ブッシュ政権アフガニスタンイラクに攻撃を加え、中東を混乱させる一方で、アメリカ国内の格差をさらに大きく広げた。それがオバマ政権の呼び水となったのだが、それから8年が過ぎ、オバマは結局アメリカを変えることができなかった。

 そして今回トランプ政権が誕生した。民衆の不満が変化への原動力となったのだ。オバマ政権の誕生の時と同じように、でもさらに過激に。考えてみれば当たり前かもしれない。クリントンは、女性初だ言われるが、所詮旧来のエスタブリッシュに過ぎず、うっぷんのたまった世の中に変化をもたらしてくれる存在ではないだろう。クリントンがつい失言してしまった、トランプ支持者への「残念な人々」発言などは、完全な上から目線であり、不満溢れる世の中を変えることができる人間でないことは確かだ。その空気を世論という見えない風も、感じていたのだろう。

 今回のアメリカ大統領選挙は、一言でいうと、完全に「どっちが嫌いか」の不毛な戦いだった。両方とも敵が多すぎる厚顔無恥な存在だから、当たり前か。言うなれば、「うんこ味のカレーと、カレー味のうんこ」を選ぶ戦いであり、結局「トランプは嫌いです、でもクリントンはもーっと嫌いです」という戦いの上で、トランプが選ばれたに過ぎない。トランプ大統領決定からNYダウはさらに上昇し、急激な円安が進んだが、これはアホメディアの言っているようなトランプへの期待感ではない。主観だが、今回の上昇は単なるチャート的な戻り上げでしかなく、戻り上げは、材料出尽くしなどでも起こる。多分あと1カ月も経てば、NYダウは下げに転じ、日経平均もつれ安となり、円高も進行するだろう。それを大手メディアは、ほらみたことかと「トランプ政権への不満で株安、円高加速」と報じることも、勝手に予測している。もちろん投資は自己責任で笑。

 結局今回の大統領選でも分かったことは、変化の原動力となりうるほどの大きな不満が、アメリカ中に蔓延しているということだ。それはアメリカだけでなく、グローバル化に洗脳された世界の多くの国でも同じかもしれない。もちろん日本でも。長生きしたいなと最近思うことが多くなった。生への執着というより、これから変わる世界を見てみたいという熱望からだ。今の世界のシステムはどれだけの不満を吸収したら、バブルのように弾けるのだろか。歩み続ける時間だけがそれを知っている。

 

 

グースハウスのポニーテルとシュシュに泣きたくなる。


ポニーテールとシュシュ/AKB48(Cover)

 久しぶりにユーチューブで、グースハウスを聞いている。カバー曲なのでどれも名曲ばかりなんだけど、グースハウスが歌うと、また違った趣があって心に心地いい。中でも好きなのが、「ポニーテールとシュシュ」なんだよなぁ。個人的には、AKB48自体はあんまり好きではない。でも秋元康の作詞力は天才だと思っている。80年代のアイドルソングから、美空ひばり、そしてAKBへ。一人のおっさんが、青春、そして人生の本質みないなものまでを歌詞にする。比喩、隠喩がうまいんだろうあ。それが心に心地いい。少し歌詞の舞台の光景に嫉妬する。AKBが、青春真っ只中のキラキラの歌詞を歌うとキラキラ感覚しか残らないのだけど、実はAKB以外がその歌詞を歌ったカバーの方が、そのキラキラの残像感が心に染みるんだようね。もうじゅうぶんおっさんと言えるような年齢なのに、「ポニーテールとシュシュ」の歌詞がね、心にとても染みるんだよ。今でも。ちょっと痛々しいな。俺。

 

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時代に高揚感を感じられた最後の世代は

 日本が失速してかなり長い年月が過ぎるが、ではどの世代までは日々の生活の中で高揚感を抱けていたのだろうか。日本経済が本格的にデフレに突入したのは1996年だと言われている。この年に多くの会社が過去の負債で動きが回らなくなり、翌年には山一証券北海道拓殖銀行など、それまで潰れるはずがないと思われていた企業さえ倒産した。90年にバブルがはじけて、その後も景気は停滞期が続いていたが、96年まではまだ多くの日本人はある種楽観的で、今の景気の落ち込みは一時的なものだと思っていた。その幻想が終わったのが、96年だ。この年を節目に、それまでの日本型雇用は大きな転換期を迎えた。終身雇用、定期昇給、昇進が当たり前だった世界に、リストラが生まれ、(給料に差を出すための)成果主義が生まれ、(給料を安く抑えるための)多くの派遣社員契約社員が生まれた。この96年までにサラリーマン生活を終えられた人が、時代に高揚感を感じられた最後の世代ではないかと、個人的に思っている。
 その世代が今何歳かと考えると、96年に60歳で定年を迎えた人は、今80歳だ。世間一般で勝ち逃げ老人と言われている世代に当たる。今80歳の人は、1936年生まれで、終戦当時は8歳だったことになる。戦争の記憶は残っているが、戦争に戦争に直接参加した世代ではない。10歳上の世代になると戦争に直接関与し、戦場にも駆り出されたことを考えると、その10歳の差が限りない差だったはずだ。
 彼らは、1960年に池田勇人が「もはや戦後ではない」と宣言した時代に24歳の若者で、どの産業に身を置いてたとしても時代の高揚感を成長を肌で感じていたはずだ。産業によって格差はあったものの、みんな一律に毎年給料が上がり、生活が確実に豊かになることを肌で感じることができた。その年代の生涯未婚率はわずか2%で(今は男性20%強、女性10%強)、ほとんどが家族を持ち、子供を持ち、マイホームを買い、とまさに自分の人生が右肩上がりで上昇していることを肌で感じていたのだろう。そしてそれは一部エリートだけでなく、職人も豆腐屋も工場労働者もその差はあれ、みんな同じで、時代の高揚感を満喫していたはずだ。まさに幸せな時代で、世代だったんだろう。
 世間では団塊の世代を羨む声が溢れるが、彼らはそんなに幸せでないと個人的には思っている。バブルがはじけた25年前に40歳前後だった団塊の世代は、それまでの15年強のサラリーマン生活の中では時代が成長する高揚感を味わったのだろうけれど、その後の25年間は、右肩下がりの失速感を味あわさせられた。その間にリストラや減給にあい、人生そのものが崩れた人も少なくないだろう。
 (僕も属している)就職氷河期世代は、世間一般では非常にかわいそうな世代と位置づけられるが、果たしてそうかなとも思う。僕らはある種の底から社会人人生のスタートを余儀なくされたが、それは特に不幸ではないようにも思う。どん底から始めれば、上がるだけだから。80歳の戦後復興世代ほどでないにしても、ある種の底を味わった世代は楽だろうなと、個人的な肌感覚からも感じている。
 逆に今の20代前半は、就職率が高く優遇されているとの見方が多いが、それはまったく違うだろうな。今後日本はこれまで以上にグローバルな競争に巻き込まれていく。昔は就職はある種の人生のゴールだったが、これからは圧倒的なスタートになるだろう。結果を残せない会社は、大企業といえど安泰であるはずがないし、企業が安泰だとしてもその中の個人の仕事が安泰だとは限らない。あたり前のことだが、海外販売比率が高い会社は海外の人材が増え、日本人の影響は少なくなる。海外駐在員として優遇を得ることも、今後はさらになくなっていくだろう。
 だらだらと書きなぐってしまったが、時代に高揚感を感じた世代は羨ましが、彼らになりたいとも思わない。団塊の世代になりたいとも、ゆとり世代にもなりたいとも思わない。自分を生きてきた時代を大切に思い返し、これからも噛みしめつつ、多分淡々と、これからも生きていくことこそが、人生というものなだと思いたい。