みとのひとりごと

関西人、東京在住。人生いまだ考え中。昭和の残香がするすみっこが好き。

村上春樹の「騎士団長殺し」をやっと読み終えたけど、結局登場人物の誰にも共感を覚えなかったよ。

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 村上春樹の「騎士団長殺し」をやっと読み終えた。ほんとうに、やっとだ。
前作の長編の「1Q84」もそうなんだけど、年々村上春樹の作品に共感を覚えなくなっている自分がいる。

 昔は村上春樹の言葉にある種の共感を覚えたし、彼の描こうとしている現代の孤独の一部もなんとなく感じとることができた。しかし今回の「騎士団長殺し」には、そうした共感を一切感じることができなかった。まだ言葉の響きの美しさには少しははっとさせらる部分も残っていたけれど、内容には共感が本当に一切なかったんだ。
 単純に僕の現在の属性が登場人物の誰にも属さなかった部分も大きいとは思うけれど、それ以上に70歳前のもう中高年でもなく老人の村上春樹が描くファッション孤独に対して、共感するものがなくなっていたんだろう。70歳前の村上春樹が13歳の女の子のブラジャーのサイズを描いている描写なんて、吐き気がするくらいだったよ。
 村上龍が時代に迎合しながらそのスタンスを変えていったのに対して、村上春樹はそのスタンスを貫き続けた。かつては時代の半歩先を気取り描いていた文章が、いつの間にか時代の半歩、一歩遅れになっても気づいていない。そんな悲しい感覚だったよ。
 あまりネタばれになるから書きたくないが、結局「騎士団長殺し」というイデアは何物でもなかったし、現実離れした登場人物たちには何の共感も得ることができなかった。ハルキストは一体今の村上春樹に何を求めているのだろう。心配すら覚えてきたよ。
 やはり自分文学は作者の年齢と登場人物の年齢の乖離には限界があるのかもしれない。この作品の主人公は36歳だが、その年齢は村上春樹の実年齢の半分だ。その頃の感性を重ね合わせて描いても、そこには今の36歳を彷彿とさせるものがなにもなく、それが共感を得ないことにつながるのかもしれない。
 ただ今の世の中で良くも悪くも多くの人が作家名だけで購入する純文学作家は村上春樹くらいしか存在しないのも確かだ。他の小説家は熱烈な一部のファン以外には全くの
興味対象ではなく、小説の売上では食べてはいけない。マスコミゴリ押しの芸能人作家を除くと、村上春樹は今の日本で唯一の確実に小説だけで食べていける純文学作家とすら言えるかもしれない(大衆文学、ミステリーにはまだ何十人か小説だけで食べていける作家は存在するが・・・)
 まぁノーベル賞作家の川端康成も晩年、隣の部屋に眠る少女を老人がいたずらする小説を描いていたわけで、70歳の村上春樹が13歳の少女が36歳のおっさん(主人公)にオッパイの大きさを語る描写があってもいいわけだが、まぁそこに共感を感じるのは厳しい・・・
 とりあえず、疲れた。夕食には、豚の生姜焼きでもつくることにしようと思う。

 

 

清水富美加と新興宗教

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 宗教の生きる上での意味が薄れて、ずいぶん経つ。
 そもそも人が生きていく上で拠り所が必要なわけだが、その拠り所としての宗教は太古から大きな存在だった。
 そうした中で新興宗教は、高度経済成長時代の都会で、大きく広がった。
 それは、当たり前のことだ。地縁から切り離されて都会に吸収された若者が求めていた拠り所(居場所)を提供したからだ。戦後の信仰宗教は大きく伸び、その代表が、創価学会であり、生長の家であり、大本教などの戦前戦後の新興宗教だった。
 清水富美加の問題で一躍再注目された幸福の科学は実は、こうした第一次信仰宗教とは違う、70年代からバブル前後に出現した第二次信仰宗教に分類される。
幸福の科学が誕生したのは確か1986年で、それはバブルと共に大きく拡大した。(まぁ大川隆法はおやじも新興宗教化で、ある意味サラブレットでもあるのだが笑)オーム真理教、ワールドメイトなどが同時期に誕生した新興宗教に当たるはずだ。

 幸福の科学の発展は、大川隆法総裁のキャラクターによるところが大きい。
大川隆法の守護霊本をマスメディアは際物のように扱うが、意外とそれは正当な部分もある。守護霊という入り口が面白過ぎるので、みんなそちらに目が行くが、それはどちらかとというと解説本の意味合いが強い。時代のキーパーソン(そうじゃない人間も多いが)を、大川隆法が独自の解釈で、その方向性を論じる。それはある種の評論本(解説本)と捉えると、かなりはちゃめちゃな論点の作品(守護霊)もあるが、実はけっこうまっとうな視点のものも少なくない。テレビで自称文化人が話すとんでも持論よりまっとうな解説も実は少なくない。マスメディアがそれを報じないだけで。

 話が脱線してしまったが、拠り所を求めるツールためのツールとして、かつては日本には仏教が存在した。しかし明治維新後にそれは徐々に希薄化し、
戦後の希薄化は加速化した。その隙間を埋めるために存在したのが、戦後に急拡大した新興宗教だったわけだ。
 時は流れ、ネット時代に突入した今、新興宗教の影響力も大きく減少した。ネットによるロングテール減少で興味(拠り所)の多様化が進んだからだ。
ただその一方で新興宗教という深みにはまる人も増えた。その代表がかつてにオーム真理教になるのだろう。
 人は物語性を求める。自分がこの世界で必要とされている確固たる確信(物語)だ。しかし効率化を追求した世界では、物語性を得ることは難しい。
それが俗にいう心の隙間というものだ。それがスポッと心に入りこんだとき、新興宗教に人ははまりこむ。昔は新興宗教に入る間口も広くその中の人間にもある程度多様性が存在したのだが、今は心に隙間がある似たタイプの人間が集まるようになった。拠り所の多様化とはそういうことだ。
 幸福の科学と共に生きることを決めた清水富美加が、これからどうなるかは分からない。ただ言えることは、彼女は今はとても幸せだということだ。拠り所を持ち、それに従って生きれるということは、とても幸せそうに見える。自分がそれを選ぶかどうかは別にして、生きる答えにつながる生き方は、今の僕には羨ましい

 

 

引っ越しの効用?

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 久々に引越しする。約6年ぶりの引越しなのだが、しかしいざ引越しの荷造りをしだすと、その予想以上の負担にかなりまいっている笑。

 一番の原因は荷物の多さなのだが、しかしここまで荷物を溜め込んだものだと、自分ながらに呆れている。特に服と本がひどく、最近は電子書籍を購入しているので以前ほど紙の書籍を購入することはなくなったのだが、それにしては大量の本がまだまだ溢れている。だいぶ捨てたりしているつもりだけれども、貧乏性の性格が災いもして、なかなか減らない。さらに服も問題で、何故かまだ使っていないドレスシャツや下着なども大量でてきて、ひどいものだ。今まで自分がいかに無駄な出費をしてきたかと、ためいきが止まらなくなる。一人暮らしなのに変に荷物が溜め込める2DKに住むのは、良し悪しだな;;

 これまでミニマリストとか断舎利的なことにはほぼほぼ興味はなかったのだが、引越しの準備をすればするほど、羨ましくなってきた自分もいる。引越しという行為は、まず新しい部屋での心機一転が大きいのだけど、それまで溜まった荷物を直視することで、自分の現状のひどさを見つめ直すきっかけになるのだな。これこそが引越しの効用なのかも。そんなことを考えながら、引越し荷造りを続けている。

 ちなみに2月頭に引越し予定。準備は当たり前にまだまだ全部終了していないのだけど、ダンボール50箱分以上の荷物ができてしまって、最終的には60個を超えそうな勢い。さらにベッド、テーブス、クローゼットなどの大型家具も多数あり。ちゃんと引越しできるのか笑。かなり不安になってきている。

 

 

そろそろ摘発されそうだね。

SNS「起業家育成」被害相次ぐ 若者ターゲット|高知新聞

起業家育成をうたったセミナーを受けた人が「受講料が高く内容も不十分だった」と訴えトラブルになる事例が増えている。会員制交流サイト(SNS)を通じた勧誘が特徴で若者が標的になっている。警察は「学習意欲を利用した巧妙で詐欺的な手口」と注意喚起し、摘発に乗り出している。
 国民生活センターによると、これら起業家育成セミナーなどに関する相談は2010年度の385件に対し、15年度は倍以上の805件と増加傾向にある。海外旅行の写真を投稿するなどして若者を引きつける主催者もいるが、担当者は「SNSではいくらでも演出できる」と指摘する。(高知新聞

 どうでもいいけど、イケ〇ハ〇トが、そろそろ摘発されそうだね。アフィバブルもそろそろはじけそうだしね。田舎ぐらしは結局儲からないのが、最終結論なのか;;。悲しいことだけど。