みとのひとりごと

40代独身、人生散歩中。

みね子は今年71歳。

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 毎日NHKの朝の連ドラ「ひよっこ」を楽しみに観ている。いい人ばかりで悪い人が全然出てこない世界観に少し戸惑いながらも、貧しいけど、毎日がキラキラしている乙女たちの日常を毎日楽しみながら、その当時の風景を想像している。

 主人の谷田部みね子は1964年の東京五輪の時に高校3年生(18歳)だったわけだから、1946年生まれか。今年2017年なので、今年71歳になるのだろう。眼鏡っ子の澄子とかは中学卒業して上京したから、その3つ下なので今年68歳か。

 まさに戦後の日本の復興と共に、人生の大部分を歩んできた世代だな。18歳で1964年の東京五輪を経験し、1970年の大阪万博の時には24歳。当時の日本の平均的な女性ならこの世代で多くの女性が結婚しているので、みね子と同室の乙女たちもこの頃には多くが結婚しているのかも。

 1973年の石油ショックの時は27歳で、バブル前夜の1985年は39歳、そしてバブルが弾けた1990年は44歳か。そうか、この世代は人生のど真ん中でバブルが弾けたのかと、思ったりする。人生の前半で日本の右肩上がりを経験し、その後の人生後半で日本の右肩下がりを経験する。まさに日本の戦後と共に歩んだんだなと。

 そういえば僕の父親もまさにこの世代だな(母親はもう少し年下)とふと思った。特に深い昔話はしないので、実はその人生を詳しく知らない。でも田舎の農家出身で、京都の国立大学に進学したので、その時代ではかなりの努力家で、田舎の秀才だったんだな。でも田舎からの仕送りがほとんどなかったようだから、それなりに苦労もしたんだろうね。全然そんなことは言わないけど。

 71歳になるみね子は今頃何をしてるんだろう。キラキラしている1965年のみね子をみながら、そんなことを考えている。ドラマなのにね。茨城出身の警察官とじゃなくても幸せな結婚をしているのかな。もう孫もけっこう大きくなっている年頃だ。他の乙女たちもそうだ。澄子にも幸せになっていて欲しいな。愛子さんは、戦争でいいなずけを亡くしたのだから、多分1965年(今放映中)時点で40歳前後の設定だろう。今生きていると、90過ぎなのかな。うちのばあちゃんと同じぐらいか。ばあちゃんも今元気なので、愛子さんも元気なんだろうな。少しほっこりとする。

 ドラマは今週、来週から新たなステージに入る。トランジスタ工場が倒産した後で、乙女たちはそれぞれ次の道を歩き出すのだろう。もう工場寮のわちゃわちゃ感が見れなくなると思うと寂しいけど、まさにそれもまた人生の1ページという言葉でぴったりだな。久々に朝ドラにえらくはまってしまったんで、感想を書いてしまいました笑。

 

 

当たり前だけど、こち亀はジャンプの最後の砦だったんだよね。

headlines.yahoo.co.jp

 遂に週刊少年ジャンプが200万部割れしたらしい。20歳前に買わなくなり、それから20年近くが過ぎる元読者といえど、このニュースは時代を感じてやはり悲しい。94年の最盛期の購読者数は650万部を超えていたのだがら、少子高齢化の進行どころでないスピードでの落ち込みだ。子供、個人の嗜好の多様化が一層鮮明になる出来事だろう。

 日本雑誌協会が公開している印刷証明部数(公称より信頼度が高い印刷部数)によると、最古の値は2008年Q2ですが、この時の週刊少年ジャンプの部数は278万5833部で、2015年以降の部数動向は次の数字とのこと。
2015年Q1…242.3
2015年Q2…239.5
2015年Q3…237.7
2015年Q4…232.2
2016年Q1…223.8
2016年Q2…216.8
2016年Q3…215.2
2016年Q4…200.6
2017年Q1…191.5(万部)。

 この数字を見ると、見事な右肩下がりが続いているが、中でも2016Q3以降の落ち込み率が特に大きいことが分かる。これはずばり、「こち亀」の9月の終了以降だ。40年間続いていた「こち亀」がいかにジャンプ定期購読者にとって最後の砦だったかのかを実感できる。こち亀が終了した4Q以降の2期(6カ月)だけで、ジャンプの発行数は215・2万部から191・5万部と、11%減を強いられている。こち亀の終了でそれまでなんとなく購読を続けていた長期読者も遂に離れてしまったのだろう。もはや終わらせてはくれないかもしれないが、ワンピースが連載終了してしまった時のジャンプの部数はいったいいくつまで落ち込んでいしまうのだろうか。

 でもそうは言ってもジャンプの発行部数の落ち込みは他の少年2誌よりはだいぶましのようだ。「週刊少年マガジン」(講談社)は16年7~9月に100万部を割り込んでおり、1~3月は96万4158部だった。「週刊少年サンデー」(小学館)は31万9667部だったとこと。なんか寂しい数字だけど、これも時代か。

 

 

大統領の身長

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 フランス大統領選がマクロン氏の勝利で終わった。個人的にはGDPに占める政府支出が世界第3位で政府がお金を集め庶民にくばる貧乏人にやさしいフランスで、イギリスやアメリカのようにが過激派が勝つことはないと思っていたが、その通りになった。ルペンがクリントンみたいで、少し気持ち悪い婆過ぎたこともあったかもしれないが。世界有数の貧乏人に優しい国であるフランスで過激派が主導権を取るには、もう少しだけ(3-5年ほど)時間がかかりそうだと思っている。

 今回書くのは、もっとどうでもいい話題。それはマクロン氏の身長が意外と低いことに気づき、各国の大統領の身長が気になったというお話。欧米の歴代の大統領は身長が高いイメージが強いのだが、歴代フランスの大統領は背は低いようだ。
 フランス人男性の平均身長は175・7㎝らしいが、歴代のフランス大統領の身長を調べてみると、
ミッテラン(1981-95)169㎝
シラク(95-07年)189㎝
サルコジ(07-12年)163㎝
▽オランド(12-17年)169㎝
マクロン(17年―)172㎝
と、巨漢の印象が強いシラクを除くとフランス人の平均身長より低く、日本人よりも身長の低い大統領が多い。フランス映画や文学ではないが、身長でなく内面で選ぶからか。肉体ではなく愛の言葉を重視するイメージが強いフランスなので、言葉が上手い人間が外見がいい人間より有利なのだろうか。まぁ答えはよく分からないが、お国柄か。マクロンの元高校教師の25歳年上妻のネットで大盛り上がりだしね笑

 一方アメリカの大統領を見ると、こちらは予想通り巨漢が多い。ちなみにアメリカ人男性の平均身長は177・6㎝である一方、歴代大統領の平均は179・2㎝であるとのこと。高身長(外見)に有利な国であることが、大統領の身長からもなんとなく分かる。いやーいろんなネット情報を参考にしてまとめたが、いろんなことを細かく調べる人が一杯いるもんだね。勉強になったわ。
 直近の大統領の身長を見ても、
ロナルド・レーガン(1981-89年)185㎝
ジョージ・ブッシュ(父)(89-93年)188㎝
ビル・クリントン(93-01年)188㎝
ジョージ・W・ブッシュ(息子)(01-09年)180㎝
バラク・オバマ(01-09年)185㎝
ドナルド・トランプ(17年―)188㎝OR190㎝
とのこと。やっぱでかいね。

 ちなみに主な高身長の日本の首相はというと、
1)中曽根康博 178㎝(176㎝?)
2)鳩山由紀夫 178㎝(177㎝?)
3)安倍晋三 175㎝
3)麻生太郎 175㎝
3)村山富一 175㎝
3)細川護煕 175㎝
3)管直人 175㎝
だそうです。
 しかしこれは上げ底首相が多いかもね。特にプライドの高そうな麻生、管はは確実に175㎝もないだろうな。昔日経新聞の首長紹介データーで麻生の身長が172㎝と書いてあったんだけど、次ぎの記載から175㎝に変わってたのを思い出したわ。クレームでもつけたのかね笑。ちなみに日本人男性の平均身長は171㎝前後とのこと。
逆に安倍は175㎝よりもおも少し高い気がするのだが。あと中曽根氏は99歳で今だ存命。この人は化け物かもね。
 なお他の日本の首相の身長は、小泉純一郎(169㎝)、橋本龍太郎(164㎝)、福田康夫(171㎝)、竹下登(162㎝)、宮沢喜一(160㎝)など。宮沢喜一は160㎝もなさげだけど、まぁいまさらどうでもいいことか笑。
 ちなみに日本首相で最も高身長だったのが、1937、41、42年と3回首相を務めた近衛文麿で185㎝前後あったらしい。明治生まれの男性の平均身長は155㎝ほどだったはずだから、今でいうと2m近い長身のイメージなんだなぁ。あと小柄なロシアのプーチン大統領の身長は168㎝ほどとのことでした。 
 まぁ、暇だったので、無駄に調べてみました。

 

 

小岩から牛久まで。

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 小岩から牛久まで歩いてみた。疲れた。GW暇だったので、5月5、6日の2日間、小岩(江戸川区)から牛久(茨城県)まで、歩いてみた。
 ほんとうになんとなく歩くこを決めた。少し大変そうだけど、なんとか出来そうな気がしたから。ある種の暇つぶしとして。
 小岩から牛久まで約50キロ。普通のペースで歩けば10時間でいけるはず。甘い見通しで歩き始めたのだけど、なかなか予想通りには行かなかったのだけど。
 朝8時30分過ぎにスタート。柴又帝釈天を抜け、金町。江戸川を超えて松戸。ここまではまだまだ体力もあり、余裕だった。日差しも強くなかったし。
 13時。6号線をひたすら歩く。日差しもけっこう強くなってくる。柏に入ったあたりからだんだんと体力が消耗してくる。日頃運動しない僕にとっては、これからが、かなりきつかった。 雨よりはましだけど、炎天下でなかなかつらい。けっこうくらくらくる。昼飯にスシローに。歩くときの負担にならないように控えめにしたけど、でも
食べ過ぎたみたい。お腹がなかなかにおもい。
  17時過ぎ。我孫子を超え、なんとか茨城県取手市)に入る。牛久までまだ15キロ近くある。脚がかなり痛くなってくる。国道から歩道がちらほら消え、歩いている人は皆無。自転車もほとんど来ない。
しかし体力あるときとないときでは足の重さが全然違うね。久しぶりにそんな感覚を再認識する。サラリーマンの日常ではなかなか感じられない感覚だろうか。
 18時30分。藤代市を超えて牛久沼へ。かなり薄暗くなってきた道をトボトボと歩く。カエルとコオロギ(?→どうやらミミズの鳴き声らしいです。初めて聞いたかも)の鳴き声に、国道をかなりのスピードで走るトラックの騒音がハーモニーみないに重なる中で、ただただ、もくもくと歩く。こんなカエルの騒音に近い鳴き声を聞くのはいつ以来考えながら。
 19時30分。やっと牛久沼のそばを抜け、国道沿いに飲食店も見え始め、やっと街を感じ始める。少し安心する。
 20時10分。牛久駅着。やっとなんとかゴール。満身創痍だが、ホテルにチェックイン。駅前はかなり真っ暗だったが、なんとかチェーン店以外の飲み屋を発見。シューマイが旨かった笑。

 ちなみに次の日は牛久大仏まで歩いた。10キロぐらいなので甘くみていたが、昨日のダメージが足に残っててて、予想外に疲れた。でも鶯とカラスの鳴き声をBGMに、藁葺屋根、竹林など昔話の中の風景がころがっていて、少し感動したので、よかったかな。なんかGWで混んでいて、牛久大仏の中には入れなかったけど、小動物園の中でうさぎに触れたのでよしとしよう笑。
 疲れた2日間の記録でした。
 あとから気づいたんだけど、これは稀勢の里の相撲部屋(小岩)から出生地(牛久)まで歩いたことになるんだよね。そんだけだけど追記。

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