みとのひとりごと

40代独身、人生散歩中。

不快感を与えるドヤ顔ブロガーたち。

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 今日2つのブログを何気に読んでいて、皆ドヤ顔ブロガー(ドヤ顔インフルエンサーやドヤ顔ユーチューバーも含む)に辟易しているんだなと感じた。僕の最近の気持ちもまさにそうなので、少しだけすっきりした。とうことで少しだけ所感を。

fujipon.hatenablog.com

kodokunikki.minibird.jp

 ブログが生活に溶け込むにつれて、不快感を感じるドヤ顔ブロガーがやたら増えており、自分中心の世界でドヤ顔で浅い価値観で語る不快的なブログ(ブログを通しての行為)が増えた。少し前までは情報源として専門性のある尊敬するブロガーの情報が参考になった部分も少なくなかったのだけど、アフィリエイトが増えだした5、6年前からドヤ顔ブロガーが増え始め、今ではドヤ顔ブロガーがブログ界の中心となろうとさえしている。本当に気持ちが悪い。ウジテレビの「嫌なら観るな」じゃないのだけど、そんなドヤ顔ブロガーに席巻されてきたブログ界の魅力は本当に薄れてきている。ブログから本音を垂れ流せるツイッターに人が移行するのも、そんなドヤ顔ブロガーへの不快感を皆が感じているからだろうか。ツイッターならドヤ顔ブロガー(ドヤ顔ツイッター)の存在感よりも、それ以外が圧倒的に多数なので、ドヤ顔ブロガーの存在感は確実に薄まるからね。特定の個人のドヤ顔ブログ、ユーチューブが情報発信の主軸だった時代は確実にもう終わりに向っていと個人的に感じている。

 

チンプイはもっと評価されるべき。

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 アマゾンプライムチンプイを観ているのだけど、予想以上に面白い。1989年放送なので、オンエアーしていた時は、まだぎりぎり小学生だったんはずだけどそんなに真剣に観てはいなかったのだけど、けっこう覚えていて懐かしい。主人公の声は林原めぐみで、まだらんま1/2の女らんまを演じる前の時のはずだ。笑い声がなんか少し初々しい気もする。アニメの節々に時代を感じる描写や表現もあり、主人子のエリが大好きなアイドルのホタルGENJIは、光GENJIのまさにパクリで、時代を感じてなんか嬉し恥ずかしい。まだこの時はSMAPさえデビューしていなかったのだ(正確にはジャ二ーズジュニアとして、光GENJIのバックで踊っていたかもしれないが)。

 チンプイは、まさに少女版のドラえもんで、ネコ型のドラえもんが22世紀からのび太くんを健全に成長させるためにやってくるのに対し、ネズミ型のチンプイはマール星からルルロフ殿下のお妃にするためにエリちゃんを連れ出しにやってくるのが基本ストーリー。物語の核となるドラえもんが四次元ポケットから出す何やかんや叶える道具が、チンプイでは科法(かほう)という、科学が発達したマール星から持ってこられた道具で、基本ドラえもんの未来の道具と同じように、エリちゃんの日常に登場し、ストーリーを盛り上げる。昔からドラえもんに頼りっぱなしののび太はあんまり好きではなかったのだけど、天真爛漫少女でひと昔前のおてんばという言葉がまさに当てはまるエリは魅力的だ。89年には(漫画が書かれたのは85年~91年)には、まだ萌えという言葉はなかったので、過剰に大きなお友達にこびるような描写はほとんどないのだけど、それだけに普通の少女っぽさが溢れていて、楽しめる。ちなににネズミ型のチンプイドラえもんより圧倒的にかわいいしね笑。今まで藤子不二夫Fの少女主人公の漫画の最高峰はエスパー麻美だと勝手に信じていたけど、チンプイも同じくらい面白いかもと感じている。ドラえもんキテレツ大百科などと比べ短命に終わった作品なんだけど、登場人物、世界観などは今でもかなり魅力的なので、改めてリメイクしてもかなりファンが増やせるんじゃかいかと感じた作品だった。チンプイはもっと評価されるべきだと改めて感じた次第。うん、さすが藤子不二夫Fは天才だわ。なんかしばらく藤子不二夫の過去の作品にハマってしまいそうな気がしている笑。

 

 

ビットコインに感じる世界の金余りの今。

 ビットコインをはじめとする仮想通貨にはたいして興味はないのだけど、その値動きを見ていて、切実の世界全体での金余り現象を感じている。1971年にブレトンウッズ体制が崩れ、世界の金融が金本位制でなくなって以来、各国が紙幣を刷りまくってきたが、BTCのまき散らす新たなブロックチェーンとマイニングという枠組み=共同幻想で、世界の金余りが極まれりという感じになってきた。一時220万円ほどになったBTCは今は175万円ほどと伸びやんできたが、バブルが終わったかどうかは定かでない。ビットコインは1年後には1000万円になってるかもしれないし、1万円に戻っているかもしれい。それは誰も分からない。それがバブルというものなのだから。ビットコインのこの3年間の上昇率は、遂に17世紀オランダのチューリップバブル(3年間)の上昇率を超えたとか超えないとか。(1630年代だったため、正確な数値はないらしいが、チューリップの球根は1年で1000倍近くになったとの話も)。

 まぁベネディクトアンダーソンではないが、所詮世界は想像の共同体なのだから、みんながビットコインがさらに上がると思えば青天井で上がるだろうし、ないと思えば値段がつかないほどに大暴落するだろう。ブロックチェーン、仮想通貨自体はすごい概念だとは思うのだけど、それとBTCの上昇は別問題で、ポジショントークを抜きにすれば、今がいずれ大幅な下落に向かうバブルのいずれかの局面であることだけは確かだろう。ただ今回のBTC上昇で図らずしも露呈してしまったことはある。BTCという不確かなものに投資しなければならないくらい世界はものすごい金余りだといことだ。リーマンショックから10年弱。世界各国はお金を擦り続け、世界的に株価は上昇。お金の行き場所はほんとうになくなっている。BTC、仮想通貨の急上昇はそんなことを肌で感じさせてくれる。金余りの時代の次に、世界はどこに向かうのか。けっこう数年以内に、今まで想像をまったくできなかった新たな枠組みが生まれているのかもしれない。今まで経験してこなかった新たな想像の共同体が生まれるのが、少しだけ待ち遠しい。

 

 

 

セミリタイヤと居場所。

 少し前までセミリタイヤをしたくて仕方なかったのだけど、最近になってその気持ちが薄らいできている。その理由はセミリタイヤブロガーの薄気持ち悪さのせいだ。それまではけっこう楽しんで読んだいたブログも、セミリタイヤに入ってすばらく経つとそのほとんどが、更新が止まるか、自意識過剰な自己(セミリタイヤ)肯定の記事に流れてします。それを肌で感じてセミリタイヤの無常さを感じているから。

 そうなる理由はなんとなく分かる。それは人生へのインプットがなくなるからだ。それが更新停止か自己肯定=自分の居場所づくり、自意識過剰に人を走らせる。どんだけ嫌な仕事をしていても、仕事をしているだけで毎日なにかしらのイベントが起こる。それがかなり不快な出来事だったとしても、毎日に少なくとも変化は生じる。それに比べてセミリタイヤは単調の繰り返しだ。まわりも自分の意見、生活に肯定的な人しか集まらなくなり、頭の回転は日々単調になり、いつしかポジショントーク的なバランスのかけらもない腐敗臭で満たされてしまう。本人たちは自分たちが自由に生きているの発信しているのだろうけど、そこには居場所がない人間が自己肯定を求める気持ち悪さ、寂しさだけが漂う。まぁそれはセミリタイヤだけでなくイケ●ハヤ●みたいな新しい働き方を語る人種などもそうなのだけど笑。それを感じてしまいすごく心地悪い。多くのセミリタイヤ願望者はセミリタイヤという目的を果たして何もなくなる。だから自己肯定と自分の居場所を求めて過剰になり、より気持ち悪さが増す。そういう連鎖なのだろか。

 人はやはり社会的な動物なんだなと改めて感じる。まわりの不特定多数の他者、味方でも敵でもな偶発性のある他者と関わらないと、一気に悪い方=自己主義に偏ってしまうのだろう。実は世間の貧乏セミリタイヤ以上の資金はすでにあったりする。でも最近セミリタイヤへの意欲がわかない。労働は確かに面倒なのだけど、そこにはセミリタイヤとは違う他者から強要されたこそ発生する偶発性の出来事が毎日少しはある。そんなことを考えていた。人生とはほんと、難しいものだ笑。