みとのひとりごと

40代独身、人生散歩中。

アラフォーからの木更津キャッツアイシンドローム

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 30代前半に東京に引っ越してきて8年目。40代に入ってから地元(大阪)に帰省すればするほどに、地元の友達とのギャップが広がりつつある。昔話的な共通の話題は盛り上がるのだけれど、それ以外の日常の話はかなりかみ合わなくなりつつあり、それをだましだまし付き合ってきたのだけど、それもそろそろ限界のような気がしている。  クドカン脚本の木更津キャッツアイは今でも大好きなドラマなんだが、どこかの著書で橘玲がこのドラマについて面白いことを書いていた。木更津キャッツアイはビールと草野球の日常が続くピーターパンの物語で、地元に居続けるからこそ存在できる日常であり、非日常であると。だから物語には高校生までの木更津地元仲間にしか出てこなくその後の人生の新しい人間関係は存在しない。そしてビールと草野球の国の物語は終わりが来ないように見える。でも現実にはビールと草野球の国のピーターパンはいつか終わりを迎える。木更津キャッツアイは主人公のぶっさん(岡田准一)が不治の病にかかったことで、その日常に亀裂が起き、突然違う物語が始まった。でも現実はそんな突然ではなく、なんとなく当たり前に日常に終わりは来る。ビールと草野球の国のピーターパンたちもいつしか齢をとり家庭を持ち、そして次の人生の物語に移行していくはずだ。

 でもなんだろう。10代でも20代でもなく30代で故郷を後にしたものとして、中途半端に木更津キャッツアイシンドロームを引きづっている自分がいるのだ。地元の友達との世界が変われば変わるほどに、中途半端に変わらず、新しい場所でも居場所を築けていない自分のいまさらの青さだけが目立つ。そして悲しくなる。そして地元との距離がさらに開いていく。でもこれが問題で、10代の進学や20代の社会人就職で地元を後にした奴らとは違い、30代に地元を後にした人間は、やはり長く地元で暮らしてしまっているだけに、地元への名残が残り続けてしまうのかもしれない。これが、木更津キャッツアイシンドロームなのかな。そんなことをふと思ったりした。

 そんなことを考えながら、久しぶりに万博記念公園に行き、太陽の塔と差し呑みをしてきた。自分勝手な独り言を太陽の塔にぶつけてみたけど、もちろん答えは返ってこない。でもゆがんだ表情が少し笑顔に見えたりもするから不思議だ。もちろん角度だけど笑。しかし岡本太郎は本当に天才だな。写真で見るとたいしたことないように見えるのだけど、目の前にあると太陽の塔の存在感とオーラは本当にすごいんだよなぁ。