みとのひとりごと

40代独身、人生散歩中。

過去との比較の馬鹿馬鹿しさ

 未だにバブル期をはじめ過去の日本と今の日本をなにかと比べて、嘆く人がけっこういる。過去の武勇伝おっさんだけでなく、時代を嘆く氷河期世代トークなんかも同じ穴のムジナだ。後付けでの分析や比較を繰り広げて、「あの時の政治がー、経済がー」とどや顔で叫ぶ「ガー族」も少なくない。

 確かにバブル後の日本経済は世界に取り残され、大きな差が開いた。だが逆にいうと日本のバブル期までの成長が、中国、ロシアの社会主義陣営とのアメリカをはじめとする資本主義陣営の中でかなり嵩を上げさせてもらったボーナスタイムであり、第2次世界大戦の収束後に社会主義が世界の多くで広がらなかったら、日本の戦後の成長も抑えられていただろう。

 今回のコロナ禍後の日本政府の対応批判を見ても、後付けでどこかと比べてのどや顔の講釈で、溢れている。「アベノマスク」をはじめコロナ後の日本の対応がまずかったのは事実だが、それは世界各国も同じことだ。メディが過剰報道し、東京五輪という足枷で引っ張られていることも多いが、今回のコロナ対応において日本だけが突出して失敗したのかと言えば、そうではない。今回の4月25日~5月11日までの1都4県(東京、大阪、京都、兵庫)への再度の緊急事態宣言も、不満は多いがその代替え案は見つからず、粛々と受け入れざる得ない状況だろう。

 勝ち残った過去が積み重なって今の歴史があるわけだが、世界は常に変わり続けてきた。アメリカが世界№1の超大国として君臨する今の世界線も、振り返ってみれば、わずか100年にも満たない期間なのだ。そもそも、ここ500年ほどの世界の歴史の流れを見るだけで、世界の覇権、中心も大きく変わってきた。

 15世紀(1400年代)半ば以降の西洋の大航海時代の以前の世界の中心は長らく、中国と中東のイスラム圏のシルクロード領域であり、その頃の欧州は世界の片田舎という位置付けだった。1492年にスペインから支援を受けたコロンブスに発見され、その後欧州諸国に侵略される以前のアメリカは、先住民インディアンののどかな社会だった。その後の欧州の侵略の歴史の傲慢さ・残酷さは多くの専門書に詳しいが、大航海時代の初期にまず世界の覇権を握っていたのはいち早く海路交易に乗り出したポルトガルだったが、その輝きの時代は50年少ししか続かなかった。その後覇権は、スペイン、オランダ、フランス、イギリスと移り変わった。日本が江戸時代初期から、長崎の出島でオランダと交易したのは、1600年代前半の世界の覇権がオランダだったからだ。

 1900年代前半の世界の覇権はイギリスだったが、第一次世界大戦での欧州各国の疲弊、アメリカの大国化、エネルギーの石炭から石油の移り変わりもあり、第二世界大戦前後に覇権は完全にアメリカに移った。それからの資本主義VS社会主義世界を経て、世界が資本主義一極でグローバル化された今に至る。

 アフターコロナが叫ばれ、今後の世界が大きく変化するだろうということは、皆んなが分かっている。問題はどう変わるかが、掴めないというジレンマだ。様々な世界線が想像されるが、コロナ後の世界はまだ見えない。

 「変わらなければ生き残れない」というダーウィン的発想は実は正しいようで、正しくないと思っている。「変わろう」と思うのは当たり前の第一歩に過ぎず、何かに巻き込まれているうちに、思っているのと違う方向に物事は動き、「生き残ったものは変わっていた」というのが、真実なのかもしれない。

 そんなこんなでこれからの時代、ビジネスも生活も意識高い系用語が飛び交う中だが、実は昔以上に泥臭い生き残り時代になるのではないだろうかと思う。過去と比べずにやるしかないことだけは確かだろう。