みとのひとりごと

40代独身、人生散歩中。

高品質日本のジレンマ。

  最近「安い国ニッポン」がクローズアップされる機会が増えたが、その大きな要因には、日本のモノづくりの武器である高い品質力という、これまでは強みになってきたことが、弱みにも転換されたことが上げられるだろう。「安くて良いモノ」が出回るり、それがそれなりの評価を受けることで、多くの市場の規模が抑えられ、それが給料面の伸び悩みにもつながり、消費も抑えつけられていることは明らかだろう。

 「安くて良いモノ」という言葉は、買い手(消費者)にとっては嬉しい限りだが、作り手(メーカー)にとっては、ある種の残酷な言葉だろう。例えば中国は、ここ10~20年あまりの圧倒的な技術進化の加速で、世界第2位の経済大国になり、「安くて良いモノ」も増えだしているが、やはり市場では「安いモノは悪い」が消費志向の根底にあるように感じる。ちなみにこれは中国だけでなく、東南アジアでも、欧米も日本意外の多くの国に当てはまり、日本の過剰な「安くて良いモノ」は世界的にも例外だ。

 中国に10年強住んでいる知人は、日本にいる時は高級志向では全くなかったが、中国に住み始めてから、「ほぼ同じ商品があったら、値段の差が2倍くらいまでなら、高いものを購入するようになった」という。理由は「安い商品すぐに壊れ、高い商品は長持ちする」ことを身をもって体感したからだという。思い返してみれば20年前の中国で3足10元で買った靴下は1回洗濯しただけで使い物にならなくなったが、数年前中国で買った3足10元の靴下も数回の洗濯でダメになった。中国の安物はいつまでのそんな感じが続いている笑。

 一方で「安い国ニッポン」では、安い商品もそれなりの品質を維持しており、多くの安物が、そんなにストレスなく使えて、壊れず、普通に長持ちする。確かに高い商品と安い商品では違いはあるが、価格の差ほどには魅力的には見えにくい。一部の超有名ブランドを除き多くの商品が、この価格は安くてもそれなりに高品質の「高品質のジレンマ」を抱えながら、販売されている。どのカテゴリーの商品でも高付加価値化は進んでいるが、それはあくまでも一部の新商品中心の動きで、ボリュームゾーンのマス商品は、一度消費者に認識された価格帯を覆しにくい。カテゴリーごとに難易度は違うだろうが、既存品をいかにリニューアルしても、単価アップさせるのは、かなり難しいだろう。メーカー努力で「安くて良いモノ」を提供を続ける限り、「高品質のジレンマ」を解消できず、市場規模も頭打ちとなる。ある種のメビウスの輪がそこにはある。

 「高品質のジレンマ」の背景には、一億総中流だった古き良き時代の流れも大きい。かつては「安くて良いモノ」を総中流の消費者が購入して、作り手も大量生産・大量消費で大いに潤った。その反動が今なのだろうか。格差社会が進み二極化が強まる中でも、電機商品、アパレル、食品、日用品まで幅広い商品が「高品質のジレンマ」から、解き放たれないでいるのは大きなマイナスだろう。ただ解決策は……となると、すぐに答えが出る問題でもない。「高品質のジレンマ」といっても、それが今の日本でも魅力であることは確かだし、今は一時消失したインバウンド需要は確実は日本商品の「安くて良いモノ」が掴んだ勝機だった。一番の理想は、買い手が「良いモノは高い」という意識を持つ消費環境の創出に尽きるが、作り手側も過去とは決別し、「安くても良いモノ」に囚われ過ぎないモノづくりに移る時期にもきているのだろう。だが総貧困化が加速する日本では、それは社会崩壊につながるきっかけになるだけなのかもしれないが。