みとのひとりごと

30歳を過ぎてから上京したアラフォーの関西人。独身。人生いまだ考え中。昭和の残香がするすみっこが好き。

自分の中の軸と拠り所。

 最近日々もやもやしていて気分が晴れない。年を重ねるにつれて、自分の何かが薄くなるようで、不安感が増す。子供の頃によく「自分の中に軸を持て」と言われた。正論だ。2ちゃんねるのコピペでよく使われた例えのように、大きなツボに始めに石を入れて、次に砂利を入れて、次に砂を入れて、最後に水を入れるような、正論だ。先に人生の軸=大きな石を入れてからまずは人生を動きださないと、後からでは自分の人生というツボに、自分の軸を入れることはできない。まさに正論だが、40代の今の自分には絵空事のようにしか映らない。人生の軸とはとてもポジティブなもので、自分の生きる意味でもある。絶対芸能人になってやるとか、小説家になってやるとか、プロ野球選手になってやるとか、全て人生の軸=目標だ。そして目標があればある限り、人は前向きに生きていける。だが現実はそれを失ったその先の人生の方が圧倒的に長い。

 自分の目標、夢に破れた後に、自分の軸がなくなった後にどうするのか。そこでよりかかるのが、人生の拠り所だ。人生の軸と違って、拠り所はとても薄くはかないものだ。自分が生きている意味を、子供や妻を守るだろか、ささいな趣味に喜びを見出すとか、資格試験や語学学習にこだわるだとか、株式投資や金に価値を見出すとか、どの拠り所はとてもはかない。それはたまたまそこにあるもので、そこに自分がいなくてもどうにかなるのだが、それがあるからいけていけると思い込めるのが、拠り所だろう。いくらダサいことでも拠り所を持てる人間が羨ましい。世の中を舎に構えてしまう自分には、なかなかにそれが難しいから;;どんだけ世の中が科学的になっても宗教がなくならなず、明らかに馬鹿な詐欺に騙される人が後を絶たないのは、それを拠り所として必要とする人がいるからに、他ならない。どんだけ馬鹿バカしくても拠り所を持っている人間は勝ち組なんだろうな。

 北京五輪のフィギュアのドタバタ劇をみながら、自分の中の軸だったものが崩れ落ち、拠り所も分からなくなるような、ロシアの15歳のフィギュアスケート選手の絶望も頭によぎりながら、そんなことをふと考えている。もちろん答えはでるわけもない。