みとのひとりごと

40代独身、人生散歩中。

入院ダイエット。

 9月17日(木)から26日(土)まで、入院していた。お腹がどうしようもなく痛くて会社近くの病院に行ったのが、入院前日の16日。精密検査が必要だということで、近くの総合病院に翌朝行ったところ、いきなりの緊急入院となった。緊急入院になるとはほとんど思っていなかっため、着の身着のままの入院となり、途中で自宅に着替え、コンタクトなどの日常必要品などを取りに帰り、あと職場も近かったため、パソコンや仕事資料なども持ち帰ったため、入院中はそんなに暇せず、たまっていた仕事がはかどるほどだった。唯一入院中に読んだのが、村上春樹の最新作の「夏帆」だったが、春樹がもう終わったおじいちゃんだとの再認識しただけだった。初めての女性主人公の話だということだが、SNSによくころがっている総合失調症の女性の妄想を春樹風文体で読まされるという苦痛しかなく、駄作の一言。100点中よく言って5点くらい。もう今後春樹の旧作は読みかえすことはあっても、新作は手に取ることはないだろう。

 今回の本題はそこではなく、入院中と退院後の今のお話。入院した症状はS状腸結憩室炎症で、一言で言えば、腸に負担をかけ過ぎでかかり弱ってて、すごい炎症を起こしており、これ以上無理したら腸自体が破けて、えらいことになるので、緊急入院とのこととなった。まぁ一言で言えばこれまでの暴飲暴食の報いということだ。幸い腸は破れてなかったので、手術はまぬがれたものの、入院後はとりあえず5日間は腸を休めるための絶食で、点滴と腸の炎症を抑える抗生物質を投与の生活だった。入院前の体重は多分最大75キロ前後(身長168センチくらい)まで増えており、かなり身体が重かった。考えてみると25年前の大学生の時の体重は50~53キロくらいで、バク転もできて、結構体系だけはジャニーズ体系だったのだが、そこから20キロ以上太っていた。その後30前半で62キロくらいと標準体型となり、徐々に増量を続け、40歳前半で70キロを超え、50手前の今、一時75キロを超えていたのだった。

 病院の5日の絶食で、体重は3キロ強落ち、71・5キロくらいになり、少し身体が軽くなった後で、病院食に移行。その後5日間の病院食(1日だけ大腸検査のため絶食)を経て、退院直後の体重は70・5キロと、10日間である意味約5キロの強制ダイエット(?)に成功した。病院中の栄養メインの食事のおかげで、腹八分目の癖もつき、当たり前だが、腸に負担のない食生活のおかげで、ここ数年悩んでいたお腹のハリもだいぶ解消された気がする。この機会に、腸の調子をさらに整えるため、腹八分目の食物繊維多めの食生活に移行ようと思っている。具体的には、キノコ類、納豆、ヨーグルト、バナナ、などのを多めに取り、五穀ごはんを主食に、肉類、炭水化物の取得を控える感じにしたい。多分これはけっこうなダイエットにもなるだろう。(ちなみに入院費用は10日間で24・3万円で、思ったよりは安くて助かった)

 近くの見通しとして、水曜日くらいまで(あと4日間)は、腸にかなり優しい食生活を意識し、昼飯も五穀ご飯中心の軽い自炊弁当としたい。その後木曜日からは、腹八分目も意識しつつも、賢者ではないので食の楽しみも幾分取り戻すために、外食、アルコールにも復帰しようと思う。ちなみにアルコールなのだが、昨日10日以上ぶりにチューハイを飲んだのだけど、全然美味しさを感じず、缶半分程度に破棄となった。もしかしたら体調変化のせいで、アルコールをそんなに楽しめない体質になってしまったのか、それとも一時的なものなのか。様子見したい。

 ちなみにダイエット体重目標としては、そこまで無理しない腸活ダイエットを進めて、年内(あと3カ月)で、最低でも68キロ、うまく言えば65キロ台にしたい。そして来年中には、適正体重の62キロに近づけるのが一つの理想だろうか。ただオッサンがあまり痩せすぎるのも単に貧相になるので、もしかしたら標準より少し多めの体重65キロくらいを維持するのがいいのかもしれないが、それはとりあえずまず65キロまであと5キロ体重を落としてからの判断になるだろう。とにかくいきなりの緊急入院で焦ったが、自分の生活習慣の悪さを見つめなおすきっかけとなって良かった部分も多かった。無理せず、食生活を見直し、自分のペースでゆったりと過ごしていきたい。

 

今夏の東南アジアの旅行費用と現地物価について考えてみた。

 症状はかなり回復したものの、病院というものは基本的に暇だ。なんかすることはないかと考えていたが、いろいろとごたごたがあり、そういえば今年の夏の東南アジア旅(インドネシア、ベトナム、カンボジア)について全然まとめてられななかったことを思い出した。あの無理した強行軍も、今回の入院の遠因となっていると思うのだが、暇つぶしの一環として、今回の旅行費用と現地物価についての所感をまとめてみた。

 まず今回の旅行経費から、

 羽田 → ジャカルタ(飛行機代、ベトジェット)=5万円。(ホーチミンでの乗継便で約12時間)+インドネシアビザ代50ドル(7500円)

 ジャカルタの宿泊費= 1泊4000円×4泊=1万6000円

 ジャカルタ →ホーチミン(飛行機代、ベトジェット)=1万8000円

 ホーチミンの宿泊費= 1泊5000円×3泊=1万5000円

 ホーチミン →プノンペン(バス)4000円。カンボジアビザ代20ドル(約3000円)

 プノンペンの宿泊費= 1泊4000円×3泊=1万2000円

 プノンペン →羽田(飛行機代、フィリピン航空)=5万円。マニラでの乗継で約12時間。

 合計すると、飛行機代、バス代+宿泊代、ビザ代で約18万円かかったことになる。直行便にするとさらに高くなったので、東京→ジャカルタ、プノンペン→の東京の飛行機を乗り継ぎ便にしたわけだが、それでそれでやや体調を崩したのだが。

 これに現地での生活費(食事代、飲み代、遊び代)として、1日1万~2万円程度かかったわけなので、合計の旅行費用は約30万ほどだった。ちなみにプノンペンのカジノでバカラで約10万円ほど勝ったが、それは別財布の話で。

 夏の10日超の旅行で30万円ほどかかったわけだが、これを高いと考えるか安いと考えるか判断は難しい。けっこう高いとも言えるし、ぎりぎりまだ大丈夫な水準だとも感じる。コロナ禍以前だったら、たぶん同じルートの日程で、たぶん15~20万円で行けたと思う。イメージ的には、航空券代は1・5倍で、ホテル代はまだまだ安く1・2倍くらいな印象。まぁ日本のホテルでも東京を除くと、大阪や地方の安いビジネスホテルなら5000~7000円くらいで泊まれるので、ジャカルタ、ホーチミンの宿も妥当な価格だろう(ちな、プノンペンのホテルは20数階の高層階で、トンレサップ川沿いで最高の見晴らしかかわらず4000円前後だったのは、シーズンバグか何かだろうか。再訪しても泊まりたいコスパ最高な宿だった)

 ちなみに現地の物価だが、その3カ国(都市)を比較すると、ホーチミン > プノンペン > ジャカルタの順だろうか。

 ベトナムはダナンあたりは安いのだが、ホーチミンはとにかく物価は高く、ツーリストエリアはさらに高い。物にもよるが飲食全般で考えると、ほぼ日本と同等を感じる。続いてプノンペンだが、ここの物価判断は難しい。実質リエルとドルとの固定相場(1ドル=4000リエル)のようになっており、政府はそれを是正したいのだが、なかなかに難しい。そのため現在のドル高の国全体がもろにかぶる感じとなっており、一般物価もかなりの値上がりを感じる。4ドルの屋台のぶっかけ飯が600円以上であり、明らかに吉野家の牛丼より劣るのに、値段だけは高い。もし1ドル120円くらいになると、カンボジアの物価も安さを感じるのだけど。

 最後にインドネシアだが、一番物価的には安い。円も弱いがルピアも弱いので、物価もそれなりの値ごろ感を感じさせる。街中のぶっかけ飯屋でも、いまだに200~300円で1食食べれるところも少なくない。ただインドネシアには、大きな問題がある。それは多くの庶民的な外食の店で、お酒が全く飲めないのだ。イスラム圏全体の課題だが、それでもインドネシアでは、2015年頃まではお酒が飲める庶民店も多くあり、コンビニでも普通にお酒が買えた。それが同年の法律改正で厳しくなく、今やお酒は一部大型スーパーや酒屋でしか買えず、庶民店では飲めず、外国人も多い高級店でしたお酒は飲めない。そしてお酒全体も日本よりかなり高く、ハイネケンあたりで400~500円と2本の2倍水準。外食はさらに高く、某バーでコロナビールを飲んだが、1200円もした。なかなか酒を通常に欲する人としては厳しい国である。これを書いている今は、入院、10日近くの禁酒のため、お酒なしでも生きれる身体だが、なかなか遊びに来た国でお酒を楽しみにくいとは大きな課題だろう。なんとなく3カ国の旅行費用と現地物価を足早だがまとめてみた。各国ともに詳しく書きたい出来事も少なくないのだけど、それは改めて書くテンションになれるかどうかだろう。とりあえず、今回の旅も改めてプアジャパンを実感した旅だった。

 

緊急入院途中の覚書き。

 とりあえず今(9月19日)、緊急入院中だ。油断していた事前予約の精密検査からいきなりの緊急入院となってしまったので、まさに準備不足そのもの。着替えも替えのコンタクトも眼鏡もなく、なかなか不自由な状態だったのだが、今はなんとか必要なものも揃い、入院期間のめど(今日19日からの6日間後の25日朝予定で、結局は17日からの9日間まで)も分かった。症状的には、S状結腸憩室炎で、腹膜炎にはいたらず、手術は免れたが、それでも細菌ウィルスの関連の数字が異常値で、炎症で腸が破れるリスクもあ続くために、精密検査後、着の身着のままで緊急入院となった。とりあえず現状の暇を収めるために、緊急入院中の経緯をまとめてみた。

 時系列にするとこんな感じだろうか。

それ以前=2-3カ月前からお腹にガスが溜まっている感で強い張りがあり、ガスピタンをてきとーに服薬。既に腸負担は大きかった中で、8月の東南アジア旅行で、辛いものを食べすぎで、胃腸にストレスはかなりマックスになっていた。それでもいろいろ過信して胃腸にストレスをかけ続けていた。

9月14日(月)=体調は普通。お腹に若干の張りはあったが、特にストレス。仕事関係の人とランチにインド料理屋に行って、ナンをおかわりで腹パンに。これも緊急入院のけっこうな遠因に。

9月15日(火)=朝からお腹の張りはあるが、特に体調に問題なかったが、東西線事故で総武線が止まってしまったことで、激込みの総武快速にのり、満員電車に乗り、けっこうな腹部圧迫。電車を降りた後から、腹部左下に歩く旅に定期的に激痛。

9月16日(水)=腹部の激痛が収まらず、会社出社前に、会社近くの一般病院へ。腹部の痛みとお腹の張りから腹膜炎を疑われ、とりあえず炎症薬で様子と見るか、近くの大病院で精密検査を受けるかのけっこう悩んだ選択提案。お腹の痛みはしつこく、前の記事の書いたT氏の突然死のこともあったので、怖くなり、大病院への紹介状を書いてもらい、午後から別の仕事があったため、翌日朝の精密検査を決定。夜は食欲がわかず、カップラーメンを食べて寝る。

9月17日(木)=大病院で精密検査。いきなりウィルス炎症の異常値が出て、緊急入院決定。症状は、S状結腸憩室炎の模様。血液検査、レントゲンなどを経て、9時~15時頃までいろいろと検査。ちなみに検査中の移動はすべて車いすでの移動となった。予想よりも比較的軽度な症状だったので、なんとか手術は避けられて一安心。ちなみに精密検査前の16日から絶食中だったが、あと数日間の絶食が決定。点滴と抗生剤をつなげられて、病人スタイルが完成。4人部屋だがカーテン仕切りの個室で、18階建てなので、なかなかにタワマン風に眺めがいい。夕方会社の人がお見舞いに来てくれた。終日ごたごたして疲れたので、着の身着のままで就寝。

9月18日(金)=比較的症状が軽かったので、独身ぼっちで誰も持ってきてもらえる人がいないので、自分で家に必要物を取りに行くための外出許可が下りた。小岩の自宅に眼鏡、コンタクト、着替え類を取りに行った後、会社にもパソコンを取りに行く、とりいそぎの日用品、ガジェットストレスは解決。家でなんとかシャワーもあびれたし。絶食3日目だが、点滴効果でそこまで空腹感はなし。

9月19日(土)=会社から持ってきた仕事をこなす。特に締め切り近い記事を執筆し、なんとかクリア。他にもいろいろ仕事はまだあるので、自己完結でできる仕事は暇なときにこなしたい。だんだんと病院にもなれてきたが、朝、夕と担当看護師は変わるのだが、全体に若めだが、数年選手は迅速な動きと対応で、今年入職さんはやはり不安定で、おっさんのしょーもない話にもあたふたと大変だなと、他の病室の会話にも耳を傾けられる余裕も出てきた。夕方に友達が見舞いがてら頼んだ村上春樹の「夏帆」を持ってきてくれた。昔は熱心なハルキストだったが、今はこういう超暇になった時にしかハルキに手を出さなくなった自分。ファンである女優の夏帆も結婚したことだし、なんとなく足元で夏帆感が高まっているため、ゆっくりと楽しんでみたい。ちなみに体重を図ったら、入院3日、絶食4日目だが、約3キロ減っていた。うまくいけば、退院時には久々に体重70キロ割れもあるかもしれない。

 なお、かなりの私物を持ち込んだので、病室内はかなりの自宅感が出てきた。スムーズに進んでも退院は25日(金)の午前の予定なので、あと丸5日間は入院生活を送ることとなる。世間のシルバーウイーク+αを入院生活となるが、入院してはじめて自分の不摂生さが身に染みてきた。なんとか入院生活で健康を取り戻した後も、節制生活できる人間を目指したいと今は思っているのだが。振り返って大きな転機だったと改めて感謝できる今回の緊急入院の続きにしたい。

 

疲労困憊の1週間(あるいは人はあっけなく死ぬということ)

 疲労困憊した1週間がやっと終わった。先週は想定外の事態で、なかなかの精神的ダメージとハードワーキングを強いられたが、なんとか乗り切れた。8月12日~23日まで東南アジア(インドネシア、ベトナム、カンボジア)旅行をしていて、8月24日の日曜日の夕方に日本に帰国した。仕事も若干かねていたのだが、交通費をうかせために、乗り継ぎ便を多用し、なおかつホーチミン→プノンペンはバス移動と、移動時間が長く思った以上に疲弊した旅行だった。50も近づくと学生の延長のような旅行スタイルはかなり厳しいのだろう。旅行の感想はまた書けるテンションがあれば書きたいのだが、今回の本題はそこではない。

 8月24日の月曜日。前日までの旅行の疲れをひきづりながら出社したのだが、そこからがなかなかのスピード展開だった。会社の社員数人から夏休み明けからここ数日間仕事をお願いしている業務委託のおっさんに連絡取れないとのこと。とりあえずおっさんをTさんとしておく。俺からも何度か携帯に電話してみたのだが、もちろんのこと折り返しの連絡はない。2時間くらいしても全く連絡がとれず、そもそも数日前から一切の連絡は取れていない。当初は電波の届かない場所にしばらくいるか携帯をなくしたくらいにした考えていなかったのだが、PCメールたラインからも連絡を送っているので、そんな些細な理由も考えにくい。Tさんに先週頼んでいた仕事先にも確認の連絡したのだが、当日は仕事場に現れなかったとのこと。不安が一気に増幅した。

 総務にTさんの住所を調べてもらい、埼玉県と都内からは小一時間と遠い場所ではあるのだが、そこまで自分で行っているかと思案したが、とりあえずは警察に電話してみたら、一気に事態は動いた。まず110をしたのだが、東京管轄から埼玉の最寄り管轄に電話を回され、その後1時間程度であれよあれよといういううちに警察、救急がTさんの自宅に乗り込む事態になった。ちなみにTさんは60代後半、独身で郊外一軒家に完全な一人暮らし。弟が1人いるとの話は軽くは聞いていたが、もちろん業務委託のおっさんの緊急連絡先なんて知らない。

 110に電話してからわずか1時間後に、警察、救急からそれぞれに、玄関が施錠されているので、Tさん宅にこれから窓を割って中に入るとの確認の連絡がきた。そしてそこからさらに1時間足らず(通報から2時間少し)で、Tさんの孤独死が確認された。警察、救急からそれぞれTさんの死亡確認の第一報がまずきた。ただそれは本当の形式的なもので、Tさんが死亡したという事実をただ淡々と伝えるだけのもので、個人情報の観点から、どのような死因であるとかなどは一切伏せられたままだった。日本の民法上、死亡に伴う個人情報はかなり厳しく、第一通報者(発見者)であっても、基本親族以外は、死亡理由等は一切知らされない。さらに孤独死で親族が全く近くにいない場合でも、葬儀などの権利は他人は一切立ち入れない。その後警察、救急の何人からの担当者から交合に電話があったのち、午後3時過ぎ(通報から4時間後くらい)の警察からの電話で、「事件性がない孤独死」とのフレーズが伝えられ、Tさんの孤独死についての一連の事件はこちらの手から全く離れた。しかし警察、救急もこうした仕事をしているある種のルールなのだろか、電話口で話す特にワンオクターブ高い声で話す。暗い話だからこそ、自分たちもその暗さに飲み込まれないような一種の精神的な対策なのだろう。何度から電話を取りながら、そんなことも感じた。そして結論としては、死者の個人情報を全く伝えられず、親族状況も分からない。物理的にでもこれでTさんの孤独死については、多くのもやもやとともに、フェードアウトされた。

 なおTさんとは8月前半に飲みにいっており、その時にすごぶる元気で、こちらのおごりでたらふく食べて飲んでいた。テンションも爆上がりで9月にタイ旅行をするので、その楽しみトーク満載だったし。食欲、酒欲も高く、持病なども聞いておらず、突然死するような様子はなかったのだが、60代後半だしそんなことは表層上だけだったのだろうな。人はあっけなく死ぬし、それは突然起こる。当たり前だけど、そんな不可避の出来事と感情の谷間に陥った。

 Tさんの孤独死は本当に悲しい出来事だったが、問題の疲労困憊はここからさらに加速した。Tさんに先週数件の仕事を依頼していたのだが、Tさんの急逝でそれを俺が全てこなさないはめになってしまった。さらに長い夏休みで溜まっている仕事もかなりありもてんやわんや。もう目の前にある仕事をこなすだけでもしんどいのに、さらに全然違う角度からの社内の騒音もあった。(この辺は零細企業のつらいことなのだが)。とりあえず今週は、なんか感情が麻痺する感じで淡々と仕事をこなして、ようやくある程度のめどが経ち、なんとか今に至る次第だ。ちなみに今日、土曜日も会社に行く予定だったのだが、朝から雨が降っていたので、心が絶えれず、とりあえず会社にはいかず雑に家でこなせる残務をこなしている。とりあえず疲労困憊の1週間の出来事だった。