「彼のおかげで、自分の贅肉の付き具合を感じた」。
見城徹は、著書「編集者という病い」の中で、尾崎豊の自殺とその後の自分の意思の変化などを語りながら、こんな言葉をつぶやいている。
見城は、角川時代、尾崎豊のアルバム「BIRTH」に携わり、一時失踪した彼の復活を手助けし、そして決裂した。若者へのカリスマとなった尾崎を支えたイメージが強かったが、実はそんな単純なものではなかったんだなと。尾崎は生き急いだイメージが強いが、見城は「彼が死んだと聞いた時は、少しも驚かなかった」と記している。常にもがき苦しんだ彼は、30歳までに死ぬのは仕方なかったんだろし、ある意味当然だったのだろう。芸術家と精神異常とは紙一重であるのだけど、その狭間を、なかなか人は超えることができない。生きているだけで生きているのが苦しいんだと叫ぶ尾崎は、同時代の多くの若者に強く支持されていたけれど、それは命を削ることとほとんど等価だったのだろう。
見城徹は、著書の中でこう続けている。「人は現状維持の方が楽なのだけど、逆にリスクがあるほうに向かって進まなければ何も生まれない。そんな生き様を、彼は見せつけて逝ってしまった」と。そして彼は、それが自分が角川を辞め、「幻冬舎」をつくったきっかけだと、結んでいる。
尾崎ほどに強く自分をみつめることもなく、見城ほど熱意を持って冷静に自己分析はできない僕に、「心の贅肉」は一体どこまでついているのだろう。少し怖くなった。身体の贅肉すら落とすのは大変なのに、心の贅肉を落とすには一体何をすればいいというのだろう。ブラックニッカのホットウイスキーを飲みながら、そんなことを考えている。安い気分転換。答えが見つからないのが答えなんて、そんなありきたりな言葉に満足はしたくない。