みとのひとりごと

40代独身、人生散歩中。

エレファントカーブと私。

f:id:mitomito777:20190421201555p:plain

  アメリカの経済学者のブランコ・ミラノビッチが著書「大不平等」の中で提唱したエレファントカーブという指標がある。1988年~2008年の20年間で、世界各国の国民一人の所得の伸び率をグラフ化したものだ。そのグラフによると、その20年間でアフリカなどの最貧国はほとんど成長していないが、その一方で中国、東南アジアをはじめとする新興国の中間層の所得は70%前後伸びている。グローバル化の波に乗り、中国をはじめとする新興国が世界の工場となり、低コスト(従業員の低給料)を武器に、先進国の製造現場を根こそぎ奪ったことで、新興国の所得は大きく伸びた。その反動を受け、その当時の世界の中間層の所得は、その20年間でほとんど伸びいないことが、このグラフから読み取れる。日本のサラリーマンはまさにこの世界の中間層であり、日本が我が世の春を謳歌したバブルからの衰退の原因も、このグラフが端的に示している。アメリカ、ヨーロッパも日本よりは成長しているが、その国に中間層に焦点を当てると日本以上に暮らしは厳しく、それがトランプ現象やBREXITも生んだ。

 しかし世界の上位75%~80%前後の所得のほぼ成長なしを境に、グラフは象の鼻のように一転して成長を遂げており、世界の上位1%の富裕層のこの20年の成長率は新興国の高成長率とほぼ同じとなる。そしてそれを金額ベースの増加にすると、富裕層の資産増加ぶりは圧倒的だ。このグラフの結果に衝撃を感じる人も少なくないが、この結果はとても当たり前だ。それまでの先進国の中間層が、地政学的にたまたま獲得してきた優位性が、グローバル化の波に乗り、薄まっただけに過ぎない。そういえば、トーマス・フリードマンの「フラット化する世界」を10年ちょい前に読んで衝撃を受けたが、そこに書かれていた現実は今ではかわいい昔話にさえ思えてしまう。

 エレファントカーブの先には何が待っているのだろうか。多くの自称有識者がAI、ロボット化を大声で叫び、エレファントカーブを肯定する。それはその人たちがカーブの上位に入り込む自信を持っているからだろう。そのポジショントークスタンスはある程度は理解できる。その中で一般人である僕らのできることは、世界の株式を買い集め、末端の資本家に名を連ねることぐらいしか思いつかない。エレファントカーブの先に何が待っているのかは想像できない。それは結局は今の格差の延長線上なのか、それともオーウェンの1985的なディストピアなのか、もちろん分からない。資本主義は前に進んでいく。何が起こっても、それでも進んでいく。

 

 

 

 

 

なつぞらに感じる昭和の少女漫画性。

f:id:mitomito777:20190410153051j:plain

 4月から始まったNHKの朝ドラの「なつぞら」がなかなかに面白い。始まってまだ10日間なんで評価はこれからの部分もあるが、北海道・十勝の風景がなつをめぐる物語の始まりを、心地よく奏でている。主人公のなつ、東京と十勝に離れ離れになった兄、妹、友達、十勝の柴田家の家族たち。今後日本のアニメーションの黎明期を描きながら、それぞれにこれからを描いていく作品には期待しかない。まだ主人公のなつを演じる広瀬すずの演技を見るのはこれからだが、なつの少女時代を演じている子役の少女の演技力がすごく良く、かなり物語に引き込ませくれる。柴田家の家族も藤木直人、松島菜々子の両親が期待以上にしっくりくる。おんじを演じる草刈正雄は、現実離れする渋さだが、北海道の開拓期を生き抜いてきた寡黙だが心根は優しい男性像を上手く表現していて、物語の序盤のなつを支える視線が優しい。もちろんOPのアニメーションものすごくいい。初期の宮崎駿未来少年コナンあたり)の雰囲気がある。知る限りではNHKの朝ドラのOPが全部アニメなのは初の試みじゃないだろうか。

 そんななつぞらを毎日見ていると、なんとなく懐かしいデジャビュ感を感じることがある。この物語はどこからで見たことがあるんじゃないかなとという不思議な錯覚だ。別に盗作などという意味ではなく、なんとなく感じる懐かしさだ。懐かしさの正体がなんなんだろうと考えていて、ふと気づいた。なつぞらは昭和30~50年代の少女漫画の雰囲気そのものなのだ。幸薄な少女が両親と死に別れ(生き別れ)、知らない遠い土地に送られ、そこで涙をかみしめながら、新しい出会いに恵まれ、成長していく。まさに昭和の少女漫画の黄金パターンだと言えるだろう。最近意外とこうしたベタな設定のドラマは少ないので、あまりこのパターンのドラマを観ていなかったことも懐かしさを改めて感じた要因かもしれない。

 なつぞらについて何気ない感想を思い浮かべながら、この作品にととても雰囲気が似ていいる昭和の少女漫画を思い出した。ちばてつやの「ユキの太陽」だ。主人公のユキは孤児院から金持ちの家に引き取られるが、会社がつぶれ、一家で北海道に移り住み、そこで様々な体験を重ね、成長していくというストーリー。なつと、その漫画の主人公のユキのたたずまいがなんとなくなつに似ていると感じたのかもしれない。調べてみたら「ユキの太陽」が描かれたのは1963年(昭和38年)で、まさに昭和の少女漫画の黄金期の幕開けの時期だ。ちばてつやは「あしたのジョー」、「のたり松太郎」、「明日天気になあれ」などスポーツをテーマにした作品が多いが、それらを描く前の初期にはノスタルジー溢れる少女漫画を数多く描いている。「ユキの太陽」以外にも、「島っこ」「みそっかす」「123と456」「テレビ天使」などもけっこう好きな作品だ。とにかくどの漫画も主人公の表情が魅力的で、黒髪と黒目がちのつぶらの瞳の幸薄を乗り越える勝気さに思わず引き込まれる。主人公の広瀬すずもそのタイプの美少女なので、そのイメージも重なったのかもしれない。ちなみに「ユキの太陽」をアマゾンで調べたら、すでに廃盤で中古でセットで5000円以上もしたので、購入を思案中。なんとかキンドルで再販して欲しいところです。

f:id:mitomito777:20190410162550j:plain

(このユキの太陽のユキとなつぞらのなつがなんとなくかぶる)

夢がない日本で与沢翼を信じる貧乏人たち。

f:id:mitomito777:20190407182649j:plain

headlines.yahoo.co.jp

 与沢翼が破産後シンガポールに移住して、FXや仮想通貨、またまた不動産投資で資産70億円を築いたというフライデーのネット記事を読んだ。まぁ内容はぐちゃぐちゃで信ぴょう性はほとんどなく、70億円を本当に稼いだ証拠もどこにもない記事なんだけど、この記事を読んだ一番驚いたことは、記事下のヤフーコメントでの矢沢支持のコメントの多さだった。すでに2000を超すコメントがついているのだけど、その大半が矢沢の成功に肯定的なコメントなのだ。与沢のフロントが経済ヤ●ザであり、その上層部が与沢を利用してさらに大金を稼ぐ存在をしっている人たちのコメントも少なくないのだけど、そういう人たちでさえ、矢沢が70億円の資産稼いだ記述については。疑いの意見が少ないのだ。世の中にあふれる情報商材マルチ商法に関して、何故そんな初歩の詐欺にひっかかかるのか不思議で仕方なかったのだけど、世の中には与沢翼のような嘘をそのまんま信じ、そして憧れ、情報商材に自分の少ないお金を投資し、さらに貧困に落ちていく人は予想以上に多いのだろうと改めて感じた。与沢翼の詐欺思想を信じて明日夢見ないと、格差が広がる日本は貧困層にとっては、そこまで生きにくい国になったのだろうか。

 与沢翼のビジネスの実態は確実に貧困ビジネスだ。自分を英雄化、偶像化させ、その虚像を旗印に、情報商材や会員制セミナー、マルチ商法、マンション投資などへと勧誘し、貧乏人から小銭をかすめ取る。暴落した仮想通貨関連のアフィリエイトでも彼はかなり稼いだはずだ。今回のフライデイの与沢のヨイショ記事が何故書かれたのかは知らないが、多分与沢はもうしばらくすると日本を舞台に壮大なマルチ商法を展開する気がしている。テーマは日本での情報が少なく、さらに与沢の虚勢が生かせる中近東、アフリカあたりへの不動産投資あたりでないかと感じている(アジアは既に情報が溢れすぎているので)。ちなみに少し前のマルチが破綻した安愚楽牧場の負債総額は約4300億円。すなわち4000億円以上を貧乏人、情弱小金持ちから集めたことになる。与沢の知名度は偏よっている(20-30代中心)ので、ここまでの資金を集めることはできないと思うが、それでも数百億円規模のお金を日本の情弱層から集めることができる可能性は十分にある。与沢翼という人間にはあまり興味がないのだけど、今後の与沢翼の詐欺師ぶりの進化の可能性に注目したい。

 

令和と昭和。

f:id:mitomito777:20190402190845j:plain

 「令和」が5月1日から新元号になることが発表された。万葉集から生まれたこの言葉の響きを何気なく聞いて、そしてその絵ずらを見て、まず「昭和」という言葉が頭に浮かんだ。近くの元号同士の漢字が重なることはとても珍しいことだし。いろいろと意見はあるだろうけれど、令和の言葉の裏側には確実の昭和の時代の高揚感を再現を目指している気運を感じてしまうのだ。特に昭和の後半の日本の輝かしい成長へのノスタルジィーをふんだんに含んで。

 令和が始まる前だけれども、既に令和と昭和への共通点は多い。令和の年月も平成と同じく30年前後と考えると、特に昭和後半の30年(昭和34年~64年)とこれから始まる令和の国民的行事にかぶるものは多い。

 昭和34年から5年目の昭和39年(1964年)の東京オリンピックは、令和2年(2020年)に開催され、昭和34年から11年目の昭和45年(1970年)の大阪万博は令和11年(2025年)に開かれることとなる。二度目の東京オリンピック大阪万博がこれからの日本にどれだけのインパクトを与えるのかは未知数だけれど、世界経済の中で終わった国として見られだしている日本の存在感を発揮するための大きな機会となることだけは確かだ。

 ただそのお祭り騒ぎが終わった後の令和は今からは想像できない。既に多くの未来の予測本が示しているように2025年の日本の見通しは厳しい。このまま進めば、さらに少子高齢化が進展し、日本の世界での存在感は薄れることは間違いない。ただ移民が日本になだれ込む違う未来に向かう可能性も高い。大量移民へ多くが懐疑的だが、個人的には移民の日本への定着、日本で家族を持つことこそが、日本の大きな成長につながる可能性があると考えている。いろいろな衝突はあるだろうが人口こそが経済の大きなエンジンであり、それなくしては国は成長しないだろうから。

 訪問先から会社に戻らず平日の上野公園でぼっちで缶酎ハイを飲み歩きしながら、そんなことを漠然と考えていた。ある意味既に平日の上野公園は日本人より外国人の方が多いくらい多国籍化している。多分少し先の日本は全てこんな感じになるのかな笑。そして50年後、100年後の教科書には昭和と令和はどういう風に対比して説明されるのか。自撮り棒で楽しげにはしゃぐアジア人カップルと、その横を通り過ぎる日本人の高齢老夫婦を見ながら、ぼーっとそんなことを考えていた。