みとのひとりごと

40代独身、人生散歩中。

ポケモンGO協奏曲

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 世の中がポケモンGOで溢れ出して、10日近くが過ぎた。個人的にもぼちぼちプレーしているが、レベル11、集めたポケモン49とまぁ、かなりたいしたことない。すでに日本でもコンプリートした人が何人も出てるというしね。しかし、ポケモンGOが始まって、なんとなく見ている景色が変わったかもしれない。これこそまさに、ポケモンGO協奏曲という感じなのかな。

 ポケモンGOをしていると、一種の仮想現実が隣にいて、少しだけ見ている景色を変えてくれる。それがなんなのか、一言では言えないけど、それをみんな感じているから、ポケモンGOを続けているのだろうな。電脳コイルまではいかないが、それの10%くらいは。個人的には、ポケモンが発売したときは高校をちょうど卒業したあたりで、基本的にポケモン世代ではない。うーんなんなんだろうな。

 ただポケモン世代だから、ポケモンGOを楽しんでいる人が多いかとというと、そうでもない気もしていて、おっさんプレイヤーも多いしねぇ。都内なので、上野公園も、錦糸公園も、明治神宮も仕事の合間に少しは寄ったんだけど、まぁ熱気はすごいね。さらに、いろんな雑誌を読んでいても、ポケモンGOがらみの企画ばかりだし。まぁ旬なので、そうなるか。ただ何の雑誌が忘れたけど、「ポケモンGOはおっさんがナンパする最適ツール、特にサトシという名前はもてるんだよ」と書いてあって、少し吹きそうになったよ笑。それだけだけど。

 でもこうしたマンネリな日常への微妙は変化が、ポケモンGOの魅力なんだろうね。まぁ、現時点での感想はこんなもんなのかな。

 

 

 

昭和も遠くなりにけり。

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 大橋巨泉が亡くなった。

 数日前に永六輔が亡くなったばかりだった。数日前に小岩の飲み屋で、82歳のじいさんが、「えいちゃんとは昔仲良かったたんだ。浅草や小岩の飲み屋でよく朝まで飲んだよ」と自分語りしたてので、「それってどれくらい前ですか」と尋ねたら、20代の頃とのこと。えらい前だなと思いつつ、それぐらい前でも永六輔は第一線で活躍してたんだと思わず驚嘆したんだよな。でも永六輔が自分にはそこまで馴染みがなかったりして、話をスルーしてたんだけど。

 でも、大橋巨泉は、ずばり、自分の青春前期のどんぴしゃだったんだよな。クイズダービーに、ぎみぁブレイク。今思えば、巨泉的にはテレビ末期の番組だったんだけど、個人的には中学、高校生の時にはなんかハマってなんだよなぁ。ビートたけしをたけちゃん、石坂浩二をへいちゃんと言う上から目線は、うっとうしい感もあったけど嫌いじゃなかったな。特にぎみぁブレイクは好きだったなぁ。クイズ王決定戦に、笑うセールスマン、巨泉の使える英会話。中学生ながらに、楽しみににしてたっけ。ちなみに笑うセールスマンの喪黒福蔵は、ゲバゲバ90分の時に大橋巨泉がモデルなんだってさ。そう言えば、少し面影あったかもなぁ。

 ほんと昭和は遠くなりにけりだよ。平成ももう28年目で、僕もそれだけ無意識に歳を重ねているんだなと、再認識したよ。うん。もう遠いね。

 

 

うさんくさいけど、とても優しい。

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 「ひとつ屋根の下」のドラマを観た。それこそオンタイムで放送していたぶりに観たかもしれない。Dテレビで無料でやっていたから。1作目の方だ。観ながらなんだか、泣きそうになったよ。うさんくさいけど、とても優しいから。

 1993年の作品だから、今からもう23年前になるのか。時代はもう平成だったけど、まだなんとなく昭和の匂いが残っていた時代だったんだろうね。江口洋介福山雅治は20代半ばで、酒井法子は20代前半、いしだ壱成はまだ18、9歳で、山本耕史はまだ15、6歳だったんじゃないかな。まだ携帯の普及していなかった時代で、黒電話すらそんなに珍しくなかったんだよな。さすがに、5人兄弟がひとつ屋根の下に住んでいる家庭は少なかったけど、近所にも大家族がいたしね。ドラマの設定は、当時でも少し日常とはかけ離れていたけど、それでも当時は「ありそうでなさそうな」感じで、違和感なく、観れたんだろうな。ちなみに舞台ば高円寺だったんだね。当時は全然意識してなかったわ。

 あんちゃん(江口)は家族、周辺の人たちにおせっかいばかりやいて、空回りしているけど、それがとても優しくて、羨ましかったな。和也(いしだ)も、なんかザ・青春の苦悩みたいな感じで、当時高校生だった自分も、けっこう共感したな。いまいち当時からちーにいちゃん(福山)には、共感がわかなかったけど、おじさん(当時50代後半だった山本圭)の演技もなんか心に残ったな。それから何作から、1960年代の山本圭出演の作品観たりしたな。吉永さゆりと恋人役だった「人間と条件」とか、なかなかよかったし。小梅(大路恵美)のレイプシーンも、当時はほんとうに悲しかったよ。

 話がすこしそれてしまったけど、この作品の中にある優しさは、もう今の時代には手が届かないのだろうな。そう強く感じている。人との接し方が変わってしまったからね。いつまでも手の届く場所にあると思っていたものが、いつのまにか全然遠いものになっていた。そんな心境かな。でも23年って思っているより、長い年月なのだろう。

 当時の優しさは、言うなれば半径1キロの優しさで、自分の生活の中にいる人への優しさだった。でも今の優しさは少し違うんだろうね。不自然というか、無機質というか。東日本大震災熊本地震へのボランティア、遠く離れたアフリカや東南アジアの子供たちへの支援など、優しさはいまだに世の中には溢れているのだけど、なんだか無機質な感じがするんだ。東日本大震災のボランティアには行くけど、近所のおばちゃんには挨拶ひとつしない。カンボジアの子供支援のワークショップには行くけど、近所で困っているおばあちゃんには手を差し伸べない。そんな感じなのかな。

 グローバル化は大変だ。身近なことさえ十分でないのに、いつのまに世界が身近な気がしていて。やることが沢山で、ちぐはぐで。少し違う気がしてるんだ。

 「ひとつ屋根の下」の時代の頃は、今思うとひとつの分岐点だったんだろうな。うさんくさい優しさが、今ほどに不自然さを感じない、そんな時代の最後だったのかな。そんな単純なやさしさがすごく懐かしくて、羨ましい。さて、どうしたもんだろうね。

 

 

やる気がないんだ、本当に。

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 初夏の午後は、けだるい。

 昼過ぎに作った麻婆豆腐が意外と美味しかったので、缶チューハイを開けてしまう。飲み始めるといつのまにか、2本目で。Dテレビで、ウォーキングデットを何気に流し観しながら、いつの間にか時間が流れている。

 ふと、何もかも変わっていることに気づく。心のイメージの中の自分は10代後半、もしくは20代前半の自分なのに、ここにいるのは30代後半でもう40近い自分で。いつのまにか時間を重ねおっさんになっている自分に、突然唖然となったりする。

 少し前に、20歳過ぎの猫の画像を観た。人間でいうと100歳手前の歳だろう。目の前のねこじゃらし的な玩具に全然反応せずに、所在なさげに佇んでたのを、思い出した。そんな感じと言えば、言い過ぎだろうか。

 でも、そんな感覚が意外と嫌じゃない自分もいる。若い頃に抱えていた今は覚えていない葛藤とか、そんなものに囲まれていないからかな。昔何かの本で、天才とはいつまでも強烈なルサンチマンを抱えている人で、でも大概の人間は徐々にそれを薄れさせる。30代後半まで、強烈なルサンチマンを抱えているのは大変な才能だ、的な言葉が書かれていて、なんとなく納得したのを思い出した。ルサンチマンを抱え続けることこそが才能で、人が何かをなしえるうえで強烈な原動力で、それがなくなると、人は老い猫のように何にも興味を示さなくなる。そんなことを考えていた。

 この文章を書いているうちに、3本目の缶チューハイを空けてしまった。まぁ仕方ない。今日はそんな日なんだろうし、人生もそんなものなのだろう。