みとのひとりごと

40代独身、人生散歩中。

持つリスク

ブルーハーツ / 夢 (1993.8.7)

 あれも欲しい、これも欲しい、もっと欲しい、もっともっと欲しい―。
 ザ・ブルーハーツが「夢」でこう歌っていたのは、1992年のことだ。
 バブルがはじけてまだまもなく、まだまだ欲望の残滓が残っていた時代で、
消費は美徳の意識はまだまだ根強く世間には残っていた。人々が持つことに憧れていた最後の時代だった。
 それからもう25年。世間は持つことに臆病になった。結婚、マイホーム、マイカー……。持たないことが当たり前の時代に今の僕たちは生きている。バブル崩壊から就職氷河期まで失われた20年を経て、世間は持たないことにすっかり慣れ、人々は持つことに臆病になった。僕もそうだ。
 自分一人で生きるので精一杯だった就職氷河期の中で、持つことはリスクになり、持つことをあきらめることも当たり前になった。マイホームを持ち、家族を養うそんなリスクに飲み込まれた層も沢山生まれた。持つことのリスクが世間に溢れ、それを間の当たりにした次の世代(今の10~20代)は、持つことに憧れすら失った世代も現れ始めた。
 アベノミクスで世間の一部では景気が回復したと言われ始めたが、それは所詮かりそめで、アベノミクスで儲けた層ですら、大した消費はせず、百貨店をはじめ、高額品の販売は苦戦を続けている。持つことをリスクと感じ、持つことで生まれる悩みを嫌う層は、これからも増え続けるだろう。変わりゆく時代の中で、持つリスクを恐れ、持たないという選択肢はいつしか当たり前なった。
 ザ・ブルーハーツは、1985年のデビューインディーズシングル「人にやさしく」の中のB面「ハンマー」で、こうも歌っている。
 48億の個人的な憂鬱、地球がその重みに、耐えかねてきしんでる、でたらめばかりだって、耳をふさいでいたら、何にも聞こえなくなっちゃうよ―
 1985年の世界人口48億人は、わずか32年で73億人と25億人も増えた。地球はその重みにもう既に耐えきれていないのかもしれない。そんな時代、持たないことこそ正しく、人にやさしい選択肢なんだろう。そう思いたい自分がいる。

 

 

純喫茶をベースキャンプと勝手に呼んでいる。

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 純喫茶のことを勝手にベースキャンプと呼んでいる。
別に登山なんてするわけないし、特に大きなことに挑むわけではないけれど、仕事で久々の街に来たときには、純喫茶という空間に大いに助けれる自分がいるからだ。
 その街に好きな喫茶店を見つけただけで、その街に行くことがなんなく好きになってくる。東京は街を歩くと人が多くて疲れる。そんな時にお気に入りの喫茶店に入るだけで、テンションが上がってくる。もちろん純喫茶が最高だ。新宿、池袋、渋谷、秋葉原、神保町、茅場町……。どの街にもなんとなく好きな喫茶店がまだ残っている。
 でも時代は変わり、純喫茶もずいぶん減ってしまった。街中にはスタバ、ドトールベローチェなどのチェーン店ばかりだ。コメダ珈琲や星乃珈琲などはまだ風情はあるが、それでもやはりチェーン店は居心地が悪い。
 ちょい個性的な風貌なオーナーとやややる気のない店員、昭和から続く少し煤けた店内。そんな感じの純喫茶が特に最高だ。少し小腹が空いていたら、トーストを頼むし、減ってなかったらホットだけでいい。少し贅沢な気分なときはハムサンドなんかもいい。できれば1時間くらいぼーっとする。なんとなく店内を見渡しながら、周りのお客の会話になんとなく耳を傾ける。どーでもない知人の噂話や職場のぐち、早口のセールストークなんかに耳を傾けながら、タバコを1本、2本、3本……。ゆっくりと7-8本くらい吸い込む。少し灰皿の中が手狭にになり、時間の経過をはっと感じる。そのううちに、いつのまにかそれまでの疲れもなんとなくなくなり、それまでよそよそしかった街の空気も和らぎ、なんだか少し愛着さえ覚えだす。
 いつの間にか、あまり楽しくもない約束の時間が迫ってくる。多分錯覚なんだろけど少しだけ心も温かい。特にいいことがあったわけではないのだけれど。そんな日常に、けっこう満足している自分がいる。

 

 

 

べっぴんさんをやっと見終わったんだけど。

 

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 NHKの朝の連ドラ「べっぴんさ」がやっと終わった。
 感想は一言、始めから終わりまで、「うーーーーん」という感じか。
 芳根京子は悪くはなかったのだけど、やはり19歳(撮影当時)の女優が60歳過ぎまで演じるのは少し無理があったと思う。
さらに戦後の子だくさんの時代なのにどの家庭も一人っ子だったりと、設定背景も少し無理がありすぎだと感じた。ここ5年くらい毎期NHKの朝の連ドラを見ているのだけど、「まれ」とほぼ同じレベルの低評価だわ。
 その理由の一番目は、もちろん脚本のひどさだ。主人公のすみれは、なんだか流される感じでなんとなく成功した風にしか見えない。自分は特に多くを望んでいなくて、向こうからチャンスが勝手に訪れて、なんとなく成功する。その繰り返しの物語だった。人生なんてそんなものなのかもしれいのだけど、脚本家の筆力のなさで、そこが全部陳腐に映って本当に嫌だったよ。これに全然年相応に見えない無理からの老け演技が加わり、ドラマ自体がひどいものになってしまってた。19歳の女優がどんなに無理しても演じられるのはぎりぎり30代後半で、娘は高校生が限界だと思う。それを超えると、もう学芸会のレベルになってしまう。これはいかに演技力があってもだ。おしんカーネーション式に40代からの人生の後半からは別に女優に確実に変えるべきだったよ。それでも脚本が最悪なので、たいして面白くはならないだろうけど、今よりは確実にましになっていたはずだから。
 個人的には芳根京子はけっこうポテンシャルの高い女優(主演でなく助演の方がいい)と思ってるので、今回の作品はキャリアにけっこう傷ついたかもと思っている。でも「まれ」の土屋太鳳もあのひどい朝ドラからなんとか蘇っているわけで、まぁリカバリーはできると思うけど。
 とりあえず毎朝観るのが苦痛だった「べっぴんさん」がなんとか終わってくれた。ちなみに月曜日からの「ひよっこ」は前評判が分かれるようだけど個人的には期待している。有村架純の田舎の女子高生役(まだぎりぎりいけると思う)、上京少女の役はかなりいつもはまりどころだ。少し小太りになってるのもいいと思う笑。個人的にはブレーク少し手前のSPECのみやび役が最高なんだけど。あと、銀杏ボーイズの峯田の田舎の内弁慶青年(おじさん?)にはかなり期待している。脚本家の岡田惠和も「ちゅらさん」はじめ名作多いしね。よし、とりあえず月曜を楽しみに待とう。

 

 

 

村上春樹の「騎士団長殺し」をやっと読み終えたけど、結局登場人物の誰にも共感を覚えなかったよ。

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 村上春樹の「騎士団長殺し」をやっと読み終えた。ほんとうに、やっとだ。
前作の長編の「1Q84」もそうなんだけど、年々村上春樹の作品に共感を覚えなくなっている自分がいる。

 昔は村上春樹の言葉にある種の共感を覚えたし、彼の描こうとしている現代の孤独の一部もなんとなく感じとることができた。しかし今回の「騎士団長殺し」には、そうした共感を一切感じることができなかった。まだ言葉の響きの美しさには少しははっとさせらる部分も残っていたけれど、内容には共感が本当に一切なかったんだ。
 単純に僕の現在の属性が登場人物の誰にも属さなかった部分も大きいとは思うけれど、それ以上に70歳前のもう中高年でもなく老人の村上春樹が描くファッション孤独に対して、共感するものがなくなっていたんだろう。70歳前の村上春樹が13歳の女の子のブラジャーのサイズを描いている描写なんて、吐き気がするくらいだったよ。
 村上龍が時代に迎合しながらそのスタンスを変えていったのに対して、村上春樹はそのスタンスを貫き続けた。かつては時代の半歩先を気取り描いていた文章が、いつの間にか時代の半歩、一歩遅れになっても気づいていない。そんな悲しい感覚だったよ。
 あまりネタばれになるから書きたくないが、結局「騎士団長殺し」というイデアは何物でもなかったし、現実離れした登場人物たちには何の共感も得ることができなかった。ハルキストは一体今の村上春樹に何を求めているのだろう。心配すら覚えてきたよ。
 やはり自分文学は作者の年齢と登場人物の年齢の乖離には限界があるのかもしれない。この作品の主人公は36歳だが、その年齢は村上春樹の実年齢の半分だ。その頃の感性を重ね合わせて描いても、そこには今の36歳を彷彿とさせるものがなにもなく、それが共感を得ないことにつながるのかもしれない。
 ただ今の世の中で良くも悪くも多くの人が作家名だけで購入する純文学作家は村上春樹くらいしか存在しないのも確かだ。他の小説家は熱烈な一部のファン以外には全くの
興味対象ではなく、小説の売上では食べてはいけない。マスコミゴリ押しの芸能人作家を除くと、村上春樹は今の日本で唯一の確実に小説だけで食べていける純文学作家とすら言えるかもしれない(大衆文学、ミステリーにはまだ何十人か小説だけで食べていける作家は存在するが・・・)
 まぁノーベル賞作家の川端康成も晩年、隣の部屋に眠る少女を老人がいたずらする小説を描いていたわけで、70歳の村上春樹が13歳の少女が36歳のおっさん(主人公)にオッパイの大きさを語る描写があってもいいわけだが、まぁそこに共感を感じるのは厳しい・・・
 とりあえず、疲れた。夕食には、豚の生姜焼きでもつくることにしようと思う。