みとのひとりごと

40代独身、人生散歩中。

フランスの行方で世界は本当に変わるかもしれない。

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 フランスの大統領選が混迷を深めている。今のところEU残留の保守派のマクロンが過激右派のルペンを圧倒し、優勢が伝えらえているが、アメリカのトランプ大統領誕生、イギリスのEU離脱決定などのここ最近の事例を見ていると、どうなるかは未知数だ。

  個人的には、今回のフランスの行方がアメリカ、イギリスよりもより世界の変革を加速させる動きだと見ている。フランスは貧乏人に優しい国だ。GDPに対する一般政府支出ランキングを見ると、フランスは56・6%で、これは1位のデンマーク(59・4%)、2位のフィンランド(56・7%)に続く3位。GDPにおける一般政府支出が高ければ高いほど、大きな政府による国民への労働分配率の調整が行われるので、フランスは貧乏人に優しい国だといえる。フランスはよく子育てがしやすい国だと言われるが、シングルマザー(貧乏人)への手厚い支援が理由だ。
 ちなみにアメリカのこの割合は37%、イギリスは44%だとういう。この2カ国は先進国の中では小さな政府に属しており、貧乏人に厳しい国だと言え、それゆに貧乏による現政府体制のへの反対の選択が起こっても、ある種当然だとも言える。
 これは江戸時代の藩の年貢の取り立てを例えにしたら、分かりやすいかもしれない。アメリカやイギリスは6公4民の藩で、武士(今のお金持ち)の取り分が多く、庶民への対応はカ国で、農民に厳しい藩だと言える。農民一揆が頻繁に起こったのも、こうした6公4民の藩だった。一方フランスは4公6民の藩で、これは当時の農民にやさしい藩の代表で、他の藩から大いに憧れられていたものだった。ちなみに日本の同割合は42%で、英米と同じ水準。生活保護うんぬんの論議もあるが、日本は先進国の中では、基本貧乏人に厳しい国だと言うことができる。
 これが今の先進国の現状だが、ここで何が言いたいというのかと言うと、労働者への最終分配率の調整力が高く、俗に国民に優しいはずのフランスでも貧乏人の反乱が起きているということだ。実は他の先進国に比べ恵まれいるはずのフランスにおいても、貧乏人がさらに弱い最下層の貧乏人(最下層の人間)を叩いていることだ。数字だけみると貧乏人に優しいはずの先進国でも貧乏人の不満が最高点に達しようとしているこの事象は、非常に興味深く、刺激的だ。
 とりあえず、世界は転換点に来ている。フランスの大統領選挙の結果で、世界の転換はさらに加速されるのか。それともなんとか踏みとどまるのか。貧乏人でアナーキストの自分は、こんな世界の動きを夕刊フジ的に楽しんでいる。

 

 

持つリスク

ブルーハーツ / 夢 (1993.8.7)

 あれも欲しい、これも欲しい、もっと欲しい、もっともっと欲しい―。
 ザ・ブルーハーツが「夢」でこう歌っていたのは、1992年のことだ。
 バブルがはじけてまだまもなく、まだまだ欲望の残滓が残っていた時代で、
消費は美徳の意識はまだまだ根強く世間には残っていた。人々が持つことに憧れていた最後の時代だった。
 それからもう25年。世間は持つことに臆病になった。結婚、マイホーム、マイカー……。持たないことが当たり前の時代に今の僕たちは生きている。バブル崩壊から就職氷河期まで失われた20年を経て、世間は持たないことにすっかり慣れ、人々は持つことに臆病になった。僕もそうだ。
 自分一人で生きるので精一杯だった就職氷河期の中で、持つことはリスクになり、持つことをあきらめることも当たり前になった。マイホームを持ち、家族を養うそんなリスクに飲み込まれた層も沢山生まれた。持つことのリスクが世間に溢れ、それを間の当たりにした次の世代(今の10~20代)は、持つことに憧れすら失った世代も現れ始めた。
 アベノミクスで世間の一部では景気が回復したと言われ始めたが、それは所詮かりそめで、アベノミクスで儲けた層ですら、大した消費はせず、百貨店をはじめ、高額品の販売は苦戦を続けている。持つことをリスクと感じ、持つことで生まれる悩みを嫌う層は、これからも増え続けるだろう。変わりゆく時代の中で、持つリスクを恐れ、持たないという選択肢はいつしか当たり前なった。
 ザ・ブルーハーツは、1985年のデビューインディーズシングル「人にやさしく」の中のB面「ハンマー」で、こうも歌っている。
 48億の個人的な憂鬱、地球がその重みに、耐えかねてきしんでる、でたらめばかりだって、耳をふさいでいたら、何にも聞こえなくなっちゃうよ―
 1985年の世界人口48億人は、わずか32年で73億人と25億人も増えた。地球はその重みにもう既に耐えきれていないのかもしれない。そんな時代、持たないことこそ正しく、人にやさしい選択肢なんだろう。そう思いたい自分がいる。

 

 

純喫茶をベースキャンプと勝手に呼んでいる。

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 純喫茶のことを勝手にベースキャンプと呼んでいる。
別に登山なんてするわけないし、特に大きなことに挑むわけではないけれど、仕事で久々の街に来たときには、純喫茶という空間に大いに助けれる自分がいるからだ。
 その街に好きな喫茶店を見つけただけで、その街に行くことがなんなく好きになってくる。東京は街を歩くと人が多くて疲れる。そんな時にお気に入りの喫茶店に入るだけで、テンションが上がってくる。もちろん純喫茶が最高だ。新宿、池袋、渋谷、秋葉原、神保町、茅場町……。どの街にもなんとなく好きな喫茶店がまだ残っている。
 でも時代は変わり、純喫茶もずいぶん減ってしまった。街中にはスタバ、ドトールベローチェなどのチェーン店ばかりだ。コメダ珈琲や星乃珈琲などはまだ風情はあるが、それでもやはりチェーン店は居心地が悪い。
 ちょい個性的な風貌なオーナーとやややる気のない店員、昭和から続く少し煤けた店内。そんな感じの純喫茶が特に最高だ。少し小腹が空いていたら、トーストを頼むし、減ってなかったらホットだけでいい。少し贅沢な気分なときはハムサンドなんかもいい。できれば1時間くらいぼーっとする。なんとなく店内を見渡しながら、周りのお客の会話になんとなく耳を傾ける。どーでもない知人の噂話や職場のぐち、早口のセールストークなんかに耳を傾けながら、タバコを1本、2本、3本……。ゆっくりと7-8本くらい吸い込む。少し灰皿の中が手狭にになり、時間の経過をはっと感じる。そのううちに、いつのまにかそれまでの疲れもなんとなくなくなり、それまでよそよそしかった街の空気も和らぎ、なんだか少し愛着さえ覚えだす。
 いつの間にか、あまり楽しくもない約束の時間が迫ってくる。多分錯覚なんだろけど少しだけ心も温かい。特にいいことがあったわけではないのだけれど。そんな日常に、けっこう満足している自分がいる。

 

 

 

べっぴんさんをやっと見終わったんだけど。

 

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 NHKの朝の連ドラ「べっぴんさ」がやっと終わった。
 感想は一言、始めから終わりまで、「うーーーーん」という感じか。
 芳根京子は悪くはなかったのだけど、やはり19歳(撮影当時)の女優が60歳過ぎまで演じるのは少し無理があったと思う。
さらに戦後の子だくさんの時代なのにどの家庭も一人っ子だったりと、設定背景も少し無理がありすぎだと感じた。ここ5年くらい毎期NHKの朝の連ドラを見ているのだけど、「まれ」とほぼ同じレベルの低評価だわ。
 その理由の一番目は、もちろん脚本のひどさだ。主人公のすみれは、なんだか流される感じでなんとなく成功した風にしか見えない。自分は特に多くを望んでいなくて、向こうからチャンスが勝手に訪れて、なんとなく成功する。その繰り返しの物語だった。人生なんてそんなものなのかもしれいのだけど、脚本家の筆力のなさで、そこが全部陳腐に映って本当に嫌だったよ。これに全然年相応に見えない無理からの老け演技が加わり、ドラマ自体がひどいものになってしまってた。19歳の女優がどんなに無理しても演じられるのはぎりぎり30代後半で、娘は高校生が限界だと思う。それを超えると、もう学芸会のレベルになってしまう。これはいかに演技力があってもだ。おしんカーネーション式に40代からの人生の後半からは別に女優に確実に変えるべきだったよ。それでも脚本が最悪なので、たいして面白くはならないだろうけど、今よりは確実にましになっていたはずだから。
 個人的には芳根京子はけっこうポテンシャルの高い女優(主演でなく助演の方がいい)と思ってるので、今回の作品はキャリアにけっこう傷ついたかもと思っている。でも「まれ」の土屋太鳳もあのひどい朝ドラからなんとか蘇っているわけで、まぁリカバリーはできると思うけど。
 とりあえず毎朝観るのが苦痛だった「べっぴんさん」がなんとか終わってくれた。ちなみに月曜日からの「ひよっこ」は前評判が分かれるようだけど個人的には期待している。有村架純の田舎の女子高生役(まだぎりぎりいけると思う)、上京少女の役はかなりいつもはまりどころだ。少し小太りになってるのもいいと思う笑。個人的にはブレーク少し手前のSPECのみやび役が最高なんだけど。あと、銀杏ボーイズの峯田の田舎の内弁慶青年(おじさん?)にはかなり期待している。脚本家の岡田惠和も「ちゅらさん」はじめ名作多いしね。よし、とりあえず月曜を楽しみに待とう。