みとのひとりごと

40代独身、人生散歩中。

令和と昭和。

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 「令和」が5月1日から新元号になることが発表された。万葉集から生まれたこの言葉の響きを何気なく聞いて、そしてその絵ずらを見て、まず「昭和」という言葉が頭に浮かんだ。近くの元号同士の漢字が重なることはとても珍しいことだし。いろいろと意見はあるだろうけれど、令和の言葉の裏側には確実の昭和の時代の高揚感を再現を目指している気運を感じてしまうのだ。特に昭和の後半の日本の輝かしい成長へのノスタルジィーをふんだんに含んで。

 令和が始まる前だけれども、既に令和と昭和への共通点は多い。令和の年月も平成と同じく30年前後と考えると、特に昭和後半の30年(昭和34年~64年)とこれから始まる令和の国民的行事にかぶるものは多い。

 昭和34年から5年目の昭和39年(1964年)の東京オリンピックは、令和2年(2020年)に開催され、昭和34年から11年目の昭和45年(1970年)の大阪万博は令和11年(2025年)に開かれることとなる。二度目の東京オリンピック大阪万博がこれからの日本にどれだけのインパクトを与えるのかは未知数だけれど、世界経済の中で終わった国として見られだしている日本の存在感を発揮するための大きな機会となることだけは確かだ。

 ただそのお祭り騒ぎが終わった後の令和は今からは想像できない。既に多くの未来の予測本が示しているように2025年の日本の見通しは厳しい。このまま進めば、さらに少子高齢化が進展し、日本の世界での存在感は薄れることは間違いない。ただ移民が日本になだれ込む違う未来に向かう可能性も高い。大量移民へ多くが懐疑的だが、個人的には移民の日本への定着、日本で家族を持つことこそが、日本の大きな成長につながる可能性があると考えている。いろいろな衝突はあるだろうが人口こそが経済の大きなエンジンであり、それなくしては国は成長しないだろうから。

 訪問先から会社に戻らず平日の上野公園でぼっちで缶酎ハイを飲み歩きしながら、そんなことを漠然と考えていた。ある意味既に平日の上野公園は日本人より外国人の方が多いくらい多国籍化している。多分少し先の日本は全てこんな感じになるのかな笑。そして50年後、100年後の教科書には昭和と令和はどういう風に対比して説明されるのか。自撮り棒で楽しげにはしゃぐアジア人カップルと、その横を通り過ぎる日本人の高齢老夫婦を見ながら、ぼーっとそんなことを考えていた。

 

1億や2億の小銭で人生をマウンティングする日本のプロブロガーやユーチュバーが馬鹿らしくなる。

headlines.yahoo.co.jp

経済誌フォーブスが、「2019年度 世界でもっともリッチな人々」のリストを発表。米人気タレントのキム・カーダシアンの妹カイリー・ジェンナーが、今回のリストで正式に、21歳にして“自力でのし上がった世界最年少のビリオネア”となった。
 フォーブス誌ではこれまで、23歳で推定資産1500億円を築いた、「フェイスブック」の創業者マーク・ザッカーバーグ氏を、自力による大富豪としては、史上最年少のビリオネアとしていた。
 ジェンナーが立ち上げた化粧品会社KylieCosmeticsは、1個29ドル(約3200円)の口紅のキットを売り出し、爆発的に大ヒット。フォーブス誌は、同社の価値を最低でも9億ドル(約990億円)と見積もっており、ジェンナーの資産は10億ドル(約1100億円)と報じている。

 まぁ、21歳で資産1000億円かぁーとため息。本当にグローバル社会といのは資産も集中してしまうなと再認識する記事だった。しかしこんな世の中で30歳を超えてほれ数百万円稼いだ、数千万円稼いだ、1億円稼いだ、5億円稼いだ・・・・・・なんて本当か嘘か分からない情報をまき散らしてマウンティングをする日本の自称プロブロガー、ユーチュバーのなんて小物感満載なことか笑。馬鹿馬鹿しくあり、それ以上にうすら可哀そうになる;;その金額がもし本当だとしても単なる小物だし、嘘なら可哀そうなだけのカラ自慢の嘘つき。どちらにしてもたいしてことない。少額のお金でマウンティングする小物に左右されるメンタリティに本当に辟易してきた。なおイナゴトレーダーのあこがれの40歳のCis氏が本当に210億円の資産を持っていても、所詮21歳の2倍の年を生きてきて、資産はたった5分の1以下に過ぎないのです。まぁそんなこんなでお金に関して考えるのがバカバカしくなっている今日この頃なんです。

forbesjapan.com

ちなみに、7歳児のユーチューバーの年収は25億円だってさ。本当にお金でマウンティングするのがバカバカしい世の中ですわ笑。

 

 

ロシア人とは味覚では到底分かり合えない。

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 暇な時たまにボランティアで日本語を教えているのだけど、この前その教室で久しぶりにロシア人の女性(30代半ばくらい)と話した。ロシア人とじっくり会話するなんて本当に久しぶりのことだ。でもそこでロシアとのギャップと多くの世界での日本の影響力のなさと改めて実感してしまった。

 その女性は日本に仕事で来て6年になるというのだけど、まぁ日本の食事、文化など全面的に否定的で、久しぶりにカルチャーショックを受けたよ笑。テレビや表向きのネット報道では日本のアニメ、日本食をはじめ幅広い文化が世界で大人気という確信犯的な変更報道が最近増えているけど、あれはほとんど嘘。確かにごく一部のアジア(タイ、ベトナム、台湾などの東南アジア中心だが、それらの国でも最近は韓国、中国に影響力を押されつつある)では、日本料理店の出店も多く、アニメのワンピース、ナルトなどの日本のアニメもある程度市民権を得ているように感じる。だけど言い換えれば、それは世界でほんとにごく一部のことだということだ。中国人の化粧品などのインバウンド消費も話題にはなっているが、ことの本質は日本製品の品質の良さというよりも、関税フリーによる激安感が購入の大きな要因であり、旅行で持ち帰った日本製品を転売屋に卸すバイト感覚の旅行者も今だ多い。少し転売旅行者をやればLCCの飛行機代金くらいのバイトにもなるからね。

 話が少しそれたが、日本料理のほとんどが彼女にとっては不味いものだということだ。特に日本のパン、ケーキは不味くて食べられないとのこと。そして多くのロシア人も同じような味覚を持っているということらしい。日本人が好む食パンのもちもち感も逆に彼女にとっては最悪の食感らしく、のどに何度もつまりそうになったという。ぱさぱさで固い食感がロシア人の口には合うのだ。さらにケーキも甘さ控えめな感じがとても美味しくないとのことだった。

 ちなみにロシア人の朝食の代表に、「カーシャ」というロシア風お粥(上の写真)がある。米や稗、雑穀、オートミールなど(地方でいろいろ)をミルクで炊いたお粥だ。日本人にとってはミルクでお粥を炊くなんてありえない選択なんだけど、それがロシア人のソウルフードだったりする。10年以上前にキルギス旧ソ連)でカーシャを一度だけ食べたことがあるのだけど、まぁひどい味だった。表現が悪いがまるでゲ〇のような味だった記憶しかない。カーシャの美味しさを熱弁するこの女性に、さすがにこの感想を言うことは出来なかったのだけど;;。ちなみに少しだけフォローすると、彼女も一応日本のお菓子にはけっこう好きなものはあるらしく、もち生地の中にあんこやチョコレート系が入ったものは特にお気に入りのようだった。

 またアルコールに関しても、個人的はドストエフスキーやゴーリキのロシア文学の影響で、多くのロシア人が大酒飲みの印象だったのだけど、これも全く嘘とのこと。確かに一部には過度のアル中もいるが、ロシア人全体の飲酒率は日本よりかなり低く、特に女性で大酒飲みはほとんどいないとのこと。その理由には寒さであり、外出先で飲んで帰る途中に凍えて死んでしまう人も毎年多く、かなりの飲酒への危機感があるとのことだった。だから飲むのも家飲みがほとんどで、外で飲むときも酔った帰りに凍え死んでしまわないように複数でしか飲まないということだった。アジアと違いやっぱりロシアはいろんな意味で遠い国だと改めて感じた夜だった。

 

アラフォーからの木更津キャッツアイシンドローム

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 30代前半に東京に引っ越してきて8年目。40代に入ってから地元(大阪)に帰省すればするほどに、地元の友達とのギャップが広がりつつある。昔話的な共通の話題は盛り上がるのだけれど、それ以外の日常の話はかなりかみ合わなくなりつつあり、それをだましだまし付き合ってきたのだけど、それもそろそろ限界のような気がしている。  クドカン脚本の木更津キャッツアイは今でも大好きなドラマなんだが、どこかの著書で橘玲がこのドラマについて面白いことを書いていた。木更津キャッツアイはビールと草野球の日常が続くピーターパンの物語で、地元に居続けるからこそ存在できる日常であり、非日常であると。だから物語には高校生までの木更津地元仲間にしか出てこなくその後の人生の新しい人間関係は存在しない。そしてビールと草野球の国の物語は終わりが来ないように見える。でも現実にはビールと草野球の国のピーターパンはいつか終わりを迎える。木更津キャッツアイは主人公のぶっさん(岡田准一)が不治の病にかかったことで、その日常に亀裂が起き、突然違う物語が始まった。でも現実はそんな突然ではなく、なんとなく当たり前に日常に終わりは来る。ビールと草野球の国のピーターパンたちもいつしか齢をとり家庭を持ち、そして次の人生の物語に移行していくはずだ。

 でもなんだろう。10代でも20代でもなく30代で故郷を後にしたものとして、中途半端に木更津キャッツアイシンドロームを引きづっている自分がいるのだ。地元の友達との世界が変われば変わるほどに、中途半端に変わらず、新しい場所でも居場所を築けていない自分のいまさらの青さだけが目立つ。そして悲しくなる。そして地元との距離がさらに開いていく。でもこれが問題で、10代の進学や20代の社会人就職で地元を後にした奴らとは違い、30代に地元を後にした人間は、やはり長く地元で暮らしてしまっているだけに、地元への名残が残り続けてしまうのかもしれない。これが、木更津キャッツアイシンドロームなのかな。そんなことをふと思ったりした。

 そんなことを考えながら、久しぶりに万博記念公園に行き、太陽の塔と差し呑みをしてきた。自分勝手な独り言を太陽の塔にぶつけてみたけど、もちろん答えは返ってこない。でもゆがんだ表情が少し笑顔に見えたりもするから不思議だ。もちろん角度だけど笑。しかし岡本太郎は本当に天才だな。写真で見るとたいしたことないように見えるのだけど、目の前にあると太陽の塔の存在感とオーラは本当にすごいんだよなぁ。