みとのひとりごと

40代独身、人生散歩中。

やる気がないんだ、本当に。

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 初夏の午後は、けだるい。

 昼過ぎに作った麻婆豆腐が意外と美味しかったので、缶チューハイを開けてしまう。飲み始めるといつのまにか、2本目で。Dテレビで、ウォーキングデットを何気に流し観しながら、いつの間にか時間が流れている。

 ふと、何もかも変わっていることに気づく。心のイメージの中の自分は10代後半、もしくは20代前半の自分なのに、ここにいるのは30代後半でもう40近い自分で。いつのまにか時間を重ねおっさんになっている自分に、突然唖然となったりする。

 少し前に、20歳過ぎの猫の画像を観た。人間でいうと100歳手前の歳だろう。目の前のねこじゃらし的な玩具に全然反応せずに、所在なさげに佇んでたのを、思い出した。そんな感じと言えば、言い過ぎだろうか。

 でも、そんな感覚が意外と嫌じゃない自分もいる。若い頃に抱えていた今は覚えていない葛藤とか、そんなものに囲まれていないからかな。昔何かの本で、天才とはいつまでも強烈なルサンチマンを抱えている人で、でも大概の人間は徐々にそれを薄れさせる。30代後半まで、強烈なルサンチマンを抱えているのは大変な才能だ、的な言葉が書かれていて、なんとなく納得したのを思い出した。ルサンチマンを抱え続けることこそが才能で、人が何かをなしえるうえで強烈な原動力で、それがなくなると、人は老い猫のように何にも興味を示さなくなる。そんなことを考えていた。

 この文章を書いているうちに、3本目の缶チューハイを空けてしまった。まぁ仕方ない。今日はそんな日なんだろうし、人生もそんなものなのだろう。

 

 

 

新しい時代の形は見えてこないのだけど。

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  新しい時代の形は見えてこないのだけど、確実の今までのグローバル化を最優先にした時代の形態は終わったんだろうな。英国のEU離脱のニュースを聞き、実生活でも若干影響を受けながら、そんなことを考えていた。

  アメリカとロシアの冷戦が終わり、世界が経済を中心に回る本格的なグローバル化の時代に入ってから、考えてみればまだ20年と少ししか立っていない。資本主義陣営対社会主義陣営の、「人類の幸福を最大化するのはどちらなのか」という壮大な社会実験のもと、第2次世界大戦後の世界のルールは、資本主義陣営の勝利に終わり、統一された。

 資本主義も社会主義も、そのそもそもの理想は人の幸福の最大化であるのだが、そのアプローチは根本的に違う。社会主義の理想は、全ての人が等しく幸福の総量を分け合って、互いに幸せに暮らすための仕組みであり、その背景となる社会システムは、皆が平等に仕事し、平等に幸せと受け取るということだった

 一方で資本主義は、個人の能力に応じて、幸福量を分け与える仕組みだ。人は平等だが、それは能力のもとに平等であり、能力が低い人間は能力に合わせた幸福しか受け取れない。だが努力を重ね能力を伸ばせば、それに合わせて得られる幸福量も増えることになる。

 資本主義と社会主義のどちらが理想的なのかは、米ソの壮大な社会実験により、現状は資本主義に軍配があがっている。だが本当にそうなのだろうか。

 個人的には、資本主義が大勝した背景は、時代が味方した部分がかなり多いと思っている。第2次大戦後はどの国も、完全に労働人口=購買者人口が多い成長市場であり、成長市場においては、努力は報われることが圧倒的だろう。戦後に資本主義で成長してきた国々は圧倒的にその果実をうまく食べることに成功してきたと言える。少々の不公平感はあったとしても、例えば年間20%所得が成長する国において、平均より少ない10%しか給料が伸びない人がいても、50%伸びる人を羨ましくは思うだろうが、「まぁあいつの方が努力しているし」と納得することも多いだろう。こうした社会が国にもよるが、日本ではバブル崩壊後の90年代前半まで、欧州でも90年代までは続いていたといえる。文化大革命を経験した中国、ベトナム戦争を経験したベトナム、東南アジアなどはそれが30~40年遅れてきた計算になり、今が資本主義が受け入れられている土最適なを形成している。

  話が少しとんでしまったが、グローバリズムと資本主義は分けては考えられないものだ。資本主義は延々の資本成長を目指す行動であり、資本成長のためには成長のための土壌(市場)が必要だからだ。それがグローバル化であり、他国への進出だ。

 当たり前だが、グローバル化は当初は確実に上手くいく。なぜならそれは進出国にまずが雇用をもたらすからだ。さらにその雇用の賃金は、進出先として選ぶ他国は経済的に格差がある場合が多く、恵まれている場合も多い。だがこの初期メリットは、徐々に効果を失い、1世代が経過した20~30年ではマイナスにすら転じる。

 英国がEUを離脱した大きな理由に移民があげられると言われる。移民により仕事を奪われた底辺労働者の怒り、破滅意識が、冷静に状況を判断していると思い込んでいる上流層を、新たな局面に巻き込んだということだろうか。さらに移民とは本当に諸刃の剣で、1世代目は社会保障も少ない低賃金労働者として活用できることで、企業(特にサービス業などの単純作業)はメリットを享受するが、それは長くは続かない。社会不安と社会保障費の増加に結び付くことになる。

 英国のEU離脱は決まったばかりで、着地点まだ見えていない。そしてそれは世界の中でどういう位置づけとされるのかも、不透明だ。それでも「何かが変わる」という意識だけは、僕も含め、多くの人が鮮明に感じ始めたことだけは確かだろう。

 

 

 

赤塚不二夫みたいに、飲みたいな。

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「まだ少し時間がある。飲みにに行こう」。

 近所の居酒屋でべろんべろんに酔いながら、赤塚不二夫のそんな言葉を思い出した。赤塚不二夫が、「天才バカボン」の原稿を紛失しまった編集者に投げかけた言葉だ。そんなかなりの危機にそんな言葉をさらりと投げかけられる、その器の大きさはすごい。その後飲んで戻った赤塚は、また同じ話を書き上げて、「2度目だから、もっとうまく描けたよ」と笑顔で、その編集者に原稿を渡したという。

 素直にその優しさ、ポジティブさが羨ましくなった。そこまで人は優しくなれるんだよな。場末の飲み屋で250円のレモン杯を飲みながら、そんなことを漠然と考えた。

 赤塚不二夫の生き方はほんとうにすごい。タモリとの数々の逸話をはじめ、ときわ荘での物語、飲み屋での梶原一騎との逸話など、その生き方はすごい格好いいな。その生き方は、岡本太郎と同じくらい羨ましい。

 酒は人の気持ちを良いようにも、悪いようにも変える。10年以上前、タイで現地のおっさんと険悪になり、けんかになりかけた時、おっさんが「とりあえず飲んで忘れよう」と言ってきたことを思い出した。2人で飲んでるうちに、なんとなく楽しくなり、そのうち何で腹を立てていたのかも思い出せなくなった。人生なんて、そんなもんなのかな。

 ちなみに、編集者が紛失した赤塚の原稿は、1週間後にタクシー会社から赤塚宛に郵送されてきた。赤塚は、「2度と同じ失敗を繰り返さないように、お前が持ってろ」と、その編集者にプレゼントされ、その後35年間自分への戒めとして持ち続けたという。赤塚の死後、その原稿はフジオプロに返却され、現在そこには「天才バカボン」の同じ回の原稿が2つ存在するという。なんか、そういうのいいな。 

 

 

 

純喫茶を愛している。

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 昔から純喫茶が好きだ。古びたソファー、古びたカウンター、古びたマスターの3種の神器が、心を癒してくれる。だから関西に住んでいるときも商店街が栄えている下町に住んでいたし、東京に引っ越した今もそうだ。少し猥雑な街角の一角に、古びた喫茶店がなんとなくある。そんな風景がとてつもなく嬉しい。

 でもそんな街角の純喫茶も、だんだんと姿を消しつつあるんだよなぁ。それなりに知名度のある純喫茶は残っていくのだろうけど、なんでもない街角にポツンとあるザ・純喫茶は、時代とともに姿を消していくことは、運命なのだろう。

 純喫茶のうれしいところの一つは、瓶ビールが置いてあることだ。大手コーヒーチェーンには置いてないしね。

 日曜日の昼下がりに、いまだに白熱灯の明かりがまぶしい純喫茶で、瓶ビールとカツサンドを頼む。それが自分的には一番安らぐ、定番だ。濃い味付けのカツサンドとドレッシングが酸っぱいサラダ、そしてサッポロの瓶ビール。仕事ですり減った心にはなんか心地いい。そこで、少し手垢に汚れた新聞を、いつもより少しだけ丁寧に読む。

 こんな毎日がただ続いていくだけでもいいのかな。ふと、そう思う。少しだけ気持が楽になる。こうして生きていく。人生なんて、深く考えなくていい。単純にそんなものなのだろう。