みとのひとりごと

40代独身、人生散歩中。

緊急事態宣言が終わってから、居酒屋はどんどん潰れるだろうな。

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 緊急事態宣言が続いている中だが、店も客ももう限界なこともあり、勝手営業している居酒屋も増えてきた。個人店や真面目な優良チェーン店(=美味しい店)はまだ酒なし営業か休業中だが、ここ数週間営業開始している居酒屋に何回か行っているが、今の時点で営業している居酒屋はほんとどが高くて、不味い。

 勝手営業店のほぼ全てが、緊急事態宣言前には行ったことがなかった店ばかりなのだが、料理のレベルがだいたいかなり低い。居酒屋チェーン店で個人的には好きな鳥貴族が10点だとすると、今営業しているチェーン居酒屋の多くの料理レベルは3~5点くらいだと感じている。なおかつほとんど客が少ない状況からの営業開始で客がごった返していることもあり、店員の対応が悪い店も少なくない。さらに客もノーマスクで大声で騒ぐグループが少なくなく、宣言前と比べると店の客質もはかなり悪い気がするし(宣言前に行ったことない店なので、正確な比較ができないが)。

 金曜日に知り合いのおっさんと錦糸町の居酒屋で軽く飲んだのだが、始めて入った店は生ビールが税込み650円くらいもして、料理も焼き鳥5本盛りが1000円以上となんか割高な設定で、さらに味も不味く、あまり楽しめなかった。コロナ対策してる感は出しているが、席同士の距離はかなり近く、なんかコロナ対策とってつけ感も強かったし。

 ということで、小一時間で居酒屋を後にしたが、飲み足りず錦糸公園で外飲みでもしようかと話がまとまり、久々に錦糸公園に向かった。錦糸公園に行くのは、1年以上ぶりだったが、数年前はポケモンゴー族でごった返していた公園は、今や外飲み族で満員だった。カップルから10人以上の花見シーズン風のグループまで、公園は外飲みの人、人、人だった。8時過ぎから、11時前くらいまで公園の隅の階段でストロングゼロとあたりめ的な飲みを繰り広げていたが、その間公園の外飲みは途切れることなく、近くの大グループはギターを片手に、知らない歌を合唱し、えらい盛り上がりだった。ただ公園という空間は、近くのグループがうるさくても、それなりに距離はあるし、閉鎖空間の居酒屋に比べるとコロナリスクは皆無だし、夜風がとても気持ちいい。さらにコンビニの酒とつまみなので、費用効果も抜群だ。さらに居酒屋のように利用時間も問われない。 

 ふと思った。今回の居酒屋の営業自粛で、今まで公園飲みを経験してなかった層の公園飲みは確実に増える気がする。今までキャンプをしてなかった層が、ソロキャンプの解放感にはまる感じにも似ているし、そのうちネットでも外飲みが楽しい都内の公園なんて特集もされるんじゃないかな。暇なら俺もそのリストを作ってみてもいいしね笑。ちなみに俺は昔から公園飲みが好きで、例えば上野で飲むとだいたい2次会は上野公園か不忍池あたりで公園飲みをしてきたが、コロナ前までは全然飲んでいる人は少なかったからね。(真冬は厳しいが、12月上旬くらいまでは公園飲みも全然大丈夫だし)

 居酒屋自粛が解除されたら、一瞬は居酒屋に客が戻るだろうが、狭い店内、不味く高い料理の店は一瞬で淘汰される可能性は高い。コロナで確実に社会の下部層の年収は下がるので、その影響もかなり大きいだろう。個人的な感想としては、コロナが一応収束して政府の補助金がなくなった後に、社会の底は確実に割れて、居酒屋もどんどん潰れて、最悪半分近くは潰れるかもしれないと思っている。そしてそれは確実に社会の負の悪循環になるだろうしね。もしインバウンド需要で外国人の旅行客がある程度復活したとしても、出入国は、今まで以上にめんどくさくはなるだろうから、総数が減ることは確実だろうしね。

 そんなことを、日曜日の朝に早起きしてしまい、なんとなく考えている。この予想がまるまる当たるとは思わないが、今の先行きにいい感じは全くはしないでいる。

 

そういえば、東京に来て、10年が過ぎていた。

 ふと気づいたのだけど、東京に来て、10年が過ぎていた。

 もう10年なのかという思いと、まだ10年かという思いが交差していて、不思議な感覚がある。東京に来る前には、大阪市内で働いていたのだが、会社が突然倒産して、さてどうすべーってテンションだった時に、知り合いから、今の会社の東京支社の社員の募集があるとの誘いを受けて、なんとなく面接を受け、なんとなく東京で働くことを決めた。東京に来たのは2011年の東日本大震災の直後の5月だった。震災から2カ月が過ぎていたので、もう東京での震災の影響はほとんどなくなっており、スーパーの照明が節電で少し暗いかなという印象くらいしか、直接の影響はなかった。

 少し振り返ると、人生にはこれまで真面目に向き合ってこなかった。いい意味でも悪い意味でも、流されて生きてきた。多分これからの真面目に向き合っていかないだろう。大学に7年間在籍して、25歳を超えて卒業した。関西では上位の私立大学だったが、京大受験に失敗したコンプレックス(京大は仮面浪人も含めて4回受験、東大も1回受験した)で、特に楽しくなかった。文化人類学者を目指していた時期もあったのだが、タイ北部の少数民族のフィールドワークをしようと思っていた時期にテレビ文化のせいで民族性が圧倒的に希薄になり、挫折した。その後大学を休学してタイ、カンボジアにしばらく滞在して、世界一周もどきをして(南米とアフリカの南は行ってないので50か国くらいしか訪問していない)、1990年代も終わりにカジノにハマって1回目の人生の破綻をした。(当時やっていたスモールビジネス破綻もあるが)。特に1999年に、カンボジアのカジノにハマってて、その時はプノンペンシアヌークビル、ココン、ポイペット、バベットなどを主戦場にしていたが、まだ世界的なポーカー(ホールデム)流行前の時代だったので、バカラとポーカーが中心だった。当時のロリコン天国のプノンペンは、クーロン黒沢や鈴木傾斜あたりが誇張しているが、そんなに悲壮感のある国でなく、日本の戦後の焼野原的な牧歌さもあった。(まぁ俺はカジノ入りびたりだったので、深い裏の話はしらんが)その話はいずれ暇になったら書こうかなと思う。

 やばい思い出振り返りになってしまったが、今回のブログで書き留めたいのは、そういうことではない。東京に出てきてからは、ずっと小岩に住んでいる。この街の東南アジアの片隅の多国籍シティ感は、なんか安心するし、肌にあう。ビジネスのにおいのする新大久保なんかより、日本で自分たちのコミュニティーを築いたいろんな国の人種がけっこう楽しくやっている。俺も暇なんで、日本語教師のボランティアをしている関係もあって、けっこういろんな国のおっさんたちとコロナ前は仲良くやっていた。新小岩の片隅の居酒屋で、イラン人と韓国人、ロシア人とベトナム人とで、焼き鳥をほおばり、志村けんの魅力について語り合う。今思うとけっこう幸せな空間だったな。コロナが終わって復活してほしい。小岩では10年住んで3回引っ越しした、違う街の引っ越しも考えたが、小岩の魅力にはあがらえないでいる笑。

 東京で10年暮らして、何を得て、何を失ったのかを考えている。一つは若さだが、それは仕方ない。東京に来たときは30代前半だったが、もう40代に入ってからだいぶ時間が過ぎた。ただ大阪時代より給料は増えたので、飲み屋めぐりの頻度が増えて充実度は増した。だが年齢を重ねるごとに結婚する友達も増え、独身主義者(モテないだけ…)の俺は必然的にぼっちのみが増え、最近のコロナでそれもままならない。

 さて、これからどう生きていこうか。そんなことを今はだらだら考えている。いろいろ変化はあるだろが、個人的な少し太ったことを除くと(大学生時代は40キロ代のガリガリだった)、あまり体力の衰えも感じないので、徒歩で日本一周だとか、自転車での世界一周なんかも今のうちにやってみたいのだが。昔に比べてそういう冒険のハードルもだいぶ下がっててて、時間さえあれば、出来ると思ってるのだが。ただ足元、お金が厳しい。この2年のコロナ禍相場で数千万円負けてしまったので、さすがに早期リタイヤしてもお金が足りなくなるのが目に見えている。まぁ自業自得だから仕方ない。何かだらだら書いてるが、思考がまとまらないな。今年は残り、これから何をするかじっくり考える時間にするかな。とりあえず東京10年を迎えた今の答えは、しばらく先送りするというありきたりの答えです;;

 

今年のGWウォーキングメモ(新宿→八王子→高尾山)

 とりあえず毎年のゴールデンウイークに、現在の体力確認のために、40~50キロほどのぼっちウォーキングを勝手に恒例化していて、今年で5年目となる。東京近辺から歩けて出来るだけ普通では行く機会がない場所を探しているのでが、年々選定が難しくなっていた。足元のコロナ禍のあり今年はもうやめよーかなと思ったりもしていたが、今年のGWでいつもにも増して暇なので、やっぱり実行することにした。

(1日目、5月3日)

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 今年選んだのは、新宿から八王子までの約40キロ。考えてみたら小岩という東京の東のはじっこに住んでいるので、西のはじっこの八王子なんて、ほとんど縁のない場所だったんだよね。そんなこんなでグーグールマップを見ながら、今年は新宿から八王子まで歩いてみることにした。

 新宿から八王子までの道のりはとても単純だ。国道20号線(甲州街道)をただただ歩くだけ。考えてみると普段の生活圏はせいぜい新宿までなので、新宿を出て渋谷区、杉並区、下高井戸、明大前あたりまで歩くと、ほとんど見知らぬ風景ばかりになる。20号線ばかり歩くと飽きてくるので、適度に脇道にも入りつつ、ひた歩く。最近のウォーキングのお供はもっぱらアマゾンオーディブルで、ハラリのサピエンス全史は数度目の視聴。結局サピエンスの発展、地球のひとりじめは、共同幻想を生み出す能力だということが再確認する。世の中には嘘も本当もなく、神の創造から始まり、キリスト教、王制、資本主義、大航海時代から始まる白人至上主義、ファシズム社会主義、そして今の資本主義の一極主義。全てがいかにそれの思想を守ることを洗脳する共同幻想の積み重なで動いている。そして7万年前の認知革命から共同幻想を身ににつけ、何千万、何億の同胞を洗脳して、どや顔で生きている。今も一部の特権階級が、ESGとやDXとか新しいどや顔ワードを発明して、さらに世の中を自分のためのものにしている。めんどくささでテンションを下がりながら、ひた歩く。

 4時間くらい歩き14時前に調布市をに入ったので、20号線沿いの天狗で牛タン重ランチ。天狗なんて来たのは数年ぶりだけど、けっこううまいなと満足。なんとなくテンションが上がって八王子に着いたら中央特快で当日に帰るつもりだったが、楽天トラベルで八王子のビジネスホテルを予約。キューピーの核工場が府中にあるのかとその横を通り過ぎちょっとテンションあがりながら歩く。しかしここからが、結構長かったりする。自然も増えてきて、やはり都心から外れると田舎だなと。当初は8時間くらいで新宿から八王子に着くと予測して、10時過ぎに新宿発だったので、18時過ぎに着けるかなと考えていたが、府中、日野あたりから坂道が増えてけっこう体力を奪われ、結局八王子に着いたのは20時過ぎに;;1日目の歩数は、約5・8万歩、約38・9キロでした。

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 楽天トラベルで3200円で予約していた宿はなかなかに古びれていて、ちょっとテンション下がる。もちろん8時を過ぎていて、さらに酒禁止なので飲み屋は大半閉まっていて、でもその中でも活動するおっぱぶ定員の勧誘を振り切り、松屋でテイクアウトした牛丼と缶ビールを飲む。やっぱり疲れてたんだなと、この日は、久方ぶりに泥のように眠る。1日目の歩数は約5・8万歩で、移動距離は約38・9キロ。

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(2日目、5月4日)

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 八王子まで来たし、翌朝起きたがそこまで足は痛くなかったので、急きょ高尾山にまで登ろうかと思う。しかし八王子から高尾山口は以外と遠くたぶん8キロくらい。とぼとぼ歩いていたがそれでも2時間以上かかり、高尾山の登り口でもう既になかなかの疲れテンションに。しかし高尾山に着くと、確か12時過ぎだと思うが、登り口からなかなかの密。登り口だけかなと思ったが、登るほどにさらに登山客が増え密に。まぁGWでの旅行がこんだけ政府に自分勝手に規制されているんだから、みんな近場に向かうから、高尾山あたりは混雑しまくりは予想できたが、予想以上だったね。日本人だけでなく外国人も多く、若者も普段の高尾山より多い印象だったし。あとで見たニュースでは高尾山の登山者は昨年の4倍以上だったらしいしね笑。

 1時間30分くらい歩いて山頂へ。しかし山頂の密度合いはすごいはわ。いつのまにか山頂に東京五輪を記念したオブジェが出来ていて、なんか負の遺産になる感じもまんまん。ストロングゼロは下山に影響を与えるので、ほろよいを飲みつつ一服。近くの子供グループが「たぬき―」と叫んでいたので、見ると確かに狸が(穴熊かもしれないが…)。ぽんぽこの世界観の残滓を少しだけ感じれて、満足したりする。

 しばらく山頂でまったりして下山。登山にはあるまじき背中飽きワンピースでどや顔のカップルに「高尾山でもさすがにその恰好で登山はあかんやろ」と心の中でつぶやきながら下山。ふもとでソフト小腹が空いたので、ソフトクーリームを食べて、さすがに帰りは高尾山口から京王線に乗ってかえる。高尾山での密具合と裏腹に、中央線はかなり空いていて、帰りの電車で爆睡できたのはありがたかった。そんなこんなの今回のGWぼっとウォーキングメモでした。今年も淡々と歩いたGWだったがまぁ今年もクリアできてそれなりに満足。来年はどうするか、まぁまた来年に考えよう笑。

 なお2日目の歩数は約3.3万キロ、約22・3キロ。2日間合計の歩数は、約9.1万歩、61・3キロでした。

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 過去のGWウォーキング一覧。

mitomito777.hatenablog.com

 

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過去との比較の馬鹿馬鹿しさ

 未だにバブル期をはじめ過去の日本と今の日本をなにかと比べて、嘆く人がけっこういる。過去の武勇伝おっさんだけでなく、時代を嘆く氷河期世代トークなんかも同じ穴のムジナだ。後付けでの分析や比較を繰り広げて、「あの時の政治がー、経済がー」とどや顔で叫ぶ「ガー族」も少なくない。

 確かにバブル後の日本経済は世界に取り残され、大きな差が開いた。だが逆にいうと日本のバブル期までの成長が、中国、ロシアの社会主義陣営とのアメリカをはじめとする資本主義陣営の中でかなり嵩を上げさせてもらったボーナスタイムであり、第2次世界大戦の収束後に社会主義が世界の多くで広がらなかったら、日本の戦後の成長も抑えられていただろう。

 今回のコロナ禍後の日本政府の対応批判を見ても、後付けでどこかと比べてのどや顔の講釈で、溢れている。「アベノマスク」をはじめコロナ後の日本の対応がまずかったのは事実だが、それは世界各国も同じことだ。メディが過剰報道し、東京五輪という足枷で引っ張られていることも多いが、今回のコロナ対応において日本だけが突出して失敗したのかと言えば、そうではない。今回の4月25日~5月11日までの1都4県(東京、大阪、京都、兵庫)への再度の緊急事態宣言も、不満は多いがその代替え案は見つからず、粛々と受け入れざる得ない状況だろう。

 勝ち残った過去が積み重なって今の歴史があるわけだが、世界は常に変わり続けてきた。アメリカが世界№1の超大国として君臨する今の世界線も、振り返ってみれば、わずか100年にも満たない期間なのだ。そもそも、ここ500年ほどの世界の歴史の流れを見るだけで、世界の覇権、中心も大きく変わってきた。

 15世紀(1400年代)半ば以降の西洋の大航海時代の以前の世界の中心は長らく、中国と中東のイスラム圏のシルクロード領域であり、その頃の欧州は世界の片田舎という位置付けだった。1492年にスペインから支援を受けたコロンブスに発見され、その後欧州諸国に侵略される以前のアメリカは、先住民インディアンののどかな社会だった。その後の欧州の侵略の歴史の傲慢さ・残酷さは多くの専門書に詳しいが、大航海時代の初期にまず世界の覇権を握っていたのはいち早く海路交易に乗り出したポルトガルだったが、その輝きの時代は50年少ししか続かなかった。その後覇権は、スペイン、オランダ、フランス、イギリスと移り変わった。日本が江戸時代初期から、長崎の出島でオランダと交易したのは、1600年代前半の世界の覇権がオランダだったからだ。

 1900年代前半の世界の覇権はイギリスだったが、第一次世界大戦での欧州各国の疲弊、アメリカの大国化、エネルギーの石炭から石油の移り変わりもあり、第二世界大戦前後に覇権は完全にアメリカに移った。それからの資本主義VS社会主義世界を経て、世界が資本主義一極でグローバル化された今に至る。

 アフターコロナが叫ばれ、今後の世界が大きく変化するだろうということは、皆んなが分かっている。問題はどう変わるかが、掴めないというジレンマだ。様々な世界線が想像されるが、コロナ後の世界はまだ見えない。

 「変わらなければ生き残れない」というダーウィン的発想は実は正しいようで、正しくないと思っている。「変わろう」と思うのは当たり前の第一歩に過ぎず、何かに巻き込まれているうちに、思っているのと違う方向に物事は動き、「生き残ったものは変わっていた」というのが、真実なのかもしれない。

 そんなこんなでこれからの時代、ビジネスも生活も意識高い系用語が飛び交う中だが、実は昔以上に泥臭い生き残り時代になるのではないだろうかと思う。過去と比べずにやるしかないことだけは確かだろう。