みとのひとりごと

40代独身、人生散歩中。

昭和ノスタルジーは終わりかけの今の時代の象徴。

 クドカンの「不適切にはほどがある」の中の1986年(昭和61年)の昭和の世界の懐かしさが注目を集めている。少々大げさな描写も多いが、セブンスター170円、「シェイプラップ乱」、「転校生」、尾身としのり、まだ左翼化してないアイドルキョンキョン、聖子ちゃんカット、ケツバットなど懐かしさ満載だ。なめ猫ウーパールーパー、まりもなどの話題がまだ出てきていないが、それは次回からの小出しだろうな。あと、1985年に始まったおにゃんこクラブは、純子が次回オーディションを受ける回にとっておくんだろうな。

 こうしたクドカンの昭和懐かし描写が改めて注目されるのは、昭和がより一層ノスタルジーを迎えた時期に差し掛かっているからだろう。クドカンが発表した2000年前半の「木更津キャッツアイ」や「池袋ウエストゲートパーク」でも昭和の懐かしネタ連発で、尾身としのり小泉今日子など昭和の人気者も再生させたが、その頃の平成はまだ昭和と近い関係で、テレビ視聴者の多くが、分かるネタでもあり、ストーリーの少し盛り上げる小ネタの域を超えなかった。池袋ウェストゲートパークは2000年に放映されたのだから、「不適切にはほどがある」の舞台の時代からわずか14年先でしかない。1986年に13歳だった中学生が、まだ27歳で、若者だと言われる時代で、そこまで2つの時代は遠くなかった。

 ただ今2024年と1986年の間にはなんと、38年の時間と時代が横たわっている。1986年のことをなんとなく覚えている当時小学生の世代でさえ、1980年生まれでさえ、今は44歳なのだ。「不適切にはほどがある」の昭和ネタをリアルに満喫した世代は、当時15歳として、53歳ということになる。そしてその世代はまだ今の日本の社会で現役世代であり、そしてのその数はまだまだ多い。そしてその時代を覚えてる世代にとっては、改めて比べた2つの時代は唖然とした差異を感じさせ、古き良き元気だった日本へのノスタルジーを感じるのだろうか。

 日本が元気過ぎた高成長、バブル社会での平均年齢は若かった。国民の年齢が若いほど、若者文化=消費の勢いにつながり、それが社会全体の活気にもつながる。今や50歳を超えた日本の平均年齢だが、80年代後半はまだ30代前半ほどだったはずだ。30代前半と言えば今大きく成長しているベトナムインドネシア並みの国民の若さだ。当時の日本は人口ボーナスを満喫していた。そしてさらにそこに冷戦での糞貧乏だった中国、ロシアなどからの資本主義参加国の一人勝ちの搾取構造も追い風だった。少子高齢化が加速する日本で、若者文化は存在感が薄く、中高年対象のコンテンツが盛り上がり続ける。そんな中でも、これから時代はさらに昭和のノスタルジーが存在感を見せるだろう。そして昭和ノスタルジーが続くことは、日本は古い世代の人間がまだ多数を占めていることの裏返しでもあり、それはある種の今の日本が終わりかけで、寂しい時代であるという象徴に映る。昭和人が世間の第一線を退き、いずれ世の中から昭和ノスタルジーという言葉が忘れられた頃にやっと、日本は本格的な新しい時代を迎えるのかもしれない。そんなことを、なんとなく昭和生まれの人間として考えている。